石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

3ヶ月。


4月から6月の3ヶ月間、
週報更新以外の「占いの仕事」をストップさせてもらっていた。







といっても、実は5月いっぱいまで、
ほぼ毎日ホロスコープは書いていた。
「ほしゆびわ」シリーズの占いバージョン終了間近、
思いがけなくたくさんのご注文を頂いたからだ。
予想外だった、嬉しかった。(ありがとうございました!)


6月前半は、会社を辞めるので忙しかった。
途中、一度やめたりまた呼ばれたりしながら、
2002年から6年ほど勤めていた会社だった。
引き継ぎのためにいつもより長い時間会社に出た。


さらに、インタビューを数件、やらせていただき、
書きかけの原稿がいくつかある。


夏以降のレクチャーやイベントとか、
新しく声をかけて頂いたお仕事とか、
そういうものの打ち合わせにもけっこう出た。


雑誌の特集も1本書いた。(もうすぐ出まーす)




・・・
というわけで
「休養」
というのとはだいぶ違った3ヶ月だったわけだけど
とにかく
「毎日〆切に追いかけられる」
ということだけはなかったので、
ずいぶん気分的にラクだった。
3月まで怖いくらいぼそぼそ抜け落ちて床を散らかしていた髪の毛が、
気がついたら、あまり抜けなくなっていた。
それに気づいた時
そんなにキツかったのか自分
と、ちょっと呆然とした。
(↑髪が抜けやすくなったのは齢と酒のせいだと思っていたらしい)



無論
〆切が毛が抜けるほどの量になってしまったのは
自分のキャパシティも考えないでどんどん仕事を入れてしまった
この自分のあほさ加減にある。
いつも、一番コンディションのよい自分の姿を想定して仕事をうけるのだが
はっきり言って月の3分の1はPMSなわけで
使えない自分
というのがいることが解ってないのだ。
もう少しちゃんとコントロールしてれば
あんなに多方面の皆様に迷惑をかけずに済んだのかも・・・
と思って
相当反省した。





変化したのは私だけではなくて、
周囲の状況もどんどん変わっていく。
調整し、相談して、
だいたい、また走れるように整えてもらった。



3ヶ月間を一言でまとめると
「これまでの仕事と、これからの仕事」
だと思う。
その結節点だった気がする。
自分が考えて書いたことが
だれかにとって、あるいはなにかにとって
価値があることだなんてとてもじゃないけどおこがましくて言えない気も勿論していて
自分が何をやってるのかときどき
よく考えるとたちどまっちゃってわからなくなるんだけど



でも照準が合ってきた。
イイ意味でプレッシャーがかかってきた。
今私が見ている「この先」は、
まるで高校生か中学生が見てる未来のような感じだ。
たどりつくには自分が甘っちょろくて世間知らずで、パワーもなく
そこまでの道のりが遠すぎる。


だけどなんだか腑に落ちてしまったから
とりあえずこのベクトルで、行き止まりまで進んでみよう、と
そういう場所までたどり着けた。



大雑把に言って、そういう3ヶ月だった。



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待っててくださってありがとう、
週報のビューもこの日記のビューも、
多分激減すると思ってました。
でも落ちなかった。
待っててくれるんだなあってうれしかったです、ありがとう。


「ファン」っていう言葉を使って下さる方もいて
それがまるで一つの集団であるかのようにいう人もいるけど
私は、そういう「集団」があるとは思わないんです。
だって私のテキストを読んで下さっている人は
あくまで「一人」で読んで下さってるわけで
そこには、私の言葉とその人しかいなくて、
1対1でしかないです。



どうしても他に言いようがなくて
「皆さんこんにちは」とか「みんなありがとね」とか言ってしまうけど
でも、私自身、何かを好きになる時そうであるように
そこにはその人のアウトプットと自分しかいなくて
絶対に「1対1」で、それだけなんだとおもいます。
集団なんかじゃないし、
まとまってないし、
ばらばらで、
私がひとりぼっちで書いているのと同じように
ひとりぼっちで私の文章を読んでくれてるんだと思う。
もちろん、誰もが、仲間や家族や恋人にかこまれて、
人と関わりながら濃い人生を送ってるし、
私も、書いたものを形にしたり読み手に届けたりするために
たくさんの人の力を借りて、「一緒に」やってます。
でも、書いてるまさにそのときは、
どうしようもなく「ひとり」だし、
読んでいる人もやっぱり、読んでいるそのときは
「ひとり」でしかないと思うんです。
よく
「人は一人で生まれてきて一人で死ぬ」
っていいますが
文章を読む時や音楽を聴く時、あるいは絵や映画をみるときなんかは
その状態に近い気がします。
つまり、どんなに誰かと一緒にいたとしても
やっぱり、一対一でその作品やアウトプットと
向き合ってるんだとおもうんです。


万人の気に入るものなんかもちろん、作れないけれど
どっかでその「1対1」がかちあえばいいなあと思うし
それを生み出すには
すみずみまでちゃんと意識を入れて、意図を張り巡らして作らなきゃいけないと思う。
「どういうふうにでも取りたいように取って下さい」
というのは、最終的にはもちろんそうでなければならないけど
作る過程では、それは言ってはならないことなんだと思ってます。
ちゃんと私の意図は、そこに一本、でなければならない。
これはすごく難しいことだけれど、
でも、いつもそこに向かっていたいと思っています。




三ヶ月間の「お休み」のあいだに、
占いの本である「星栞」の重版という朗報が届きました。
こないだ、本屋さんで自分の本を見かけて
手にとって後ろを開いたら
「第二刷」
って書いてあって、
自分の誕生日の前日の日付が入ってました。
嬉しくて死にそうでした。




Amazonのランキングとか、第二刷とか、
そういう「数字」を見ると、嬉しくてはしゃいじゃうんですが
やっぱりそういうときも
読んで下さってるたくさんの皆さんを大きな集団として思い浮かべるんじゃなくて
あくまで、読んでくれている一人の人の袖を引っ張って
「ちょっとすごいよ、これ見てよ! どうよ!」
ってコーフンして言いたくなって、
ここらへんに書いたりしてるイメージなんです。
そういうところが、なんか、ヘンなのですね、私は(多分



なにはともあれ、
読んで下さって、書かせて下さって、本当にありがとうございます。
待っててくださった皆様、メッセージ下さった皆様、
ひたすら感謝です。お返事がなかなかできなくて本当にごめんなさい。
もっとがんばります、
これからもどうか、よろしくお願いします!