石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

11th-UTさん


インタビュー企画、11人目のUTさんは
26歳の女性だ。
日本橋ルノアールで待ち合わせたのだが
私の方が早かった。
待っていると、すうっと入ってきて、
すぐに私を見つけてくれた。
初対面のはずなのに、と思ったら、
「女性のお客さんは一人だけだったので」
と言う。
そこそこ広さのある店内を見回してみると、
たしかにそうだった。


聞けば、彼女は、私が主催した星占いのイベントにも
参加してくれていたのだった。
だから私の顔を知っていたのは当然だった。
でも、彼女は、私の雰囲気が変わった、と言った。
髪が長くなったし、なんか、印象が違いますね。
自分では解らなかった。


飲み物を頼んで待っているあいだ、
UTさんは私にいろいろなことを尋ねた。
いつも私の星占いや日記を読んでいること、
サイト名の由来とか、サイトの訪問者数のこととか、
ぽつぽつと、静かに、様々なことを聞かれた。
べつに、質問攻め、みたいな印象ではない。
静かでクールな、でもほのぼのとした明るさのある「関心」を感じた。
こういうふうに、誰かから明るい「関心」を向けられるのは
うれしいことなんだ、と思った。
彼女の質問には、ただ「知りたい」というだけの透明な望みが感じられる。
詮索や尋問とは全く違う、
他者への柔らかい葉脈のような「知りたい」は、
「好意」の表現に限りなく近いんだ、と思った。



UTさんを最初に見た時、どこか見覚えがある感じがした。
彼女は、私の知っている誰かによく似ているのだ。
つらつらと思いめぐらして、ついと思い当たった。


それは、行きつけの飲み屋さんで知り合った女性だった。
彼女は、アーティストの卵だ。
UTさんと同じく20代中程で、色白で小柄なつくりもそうだが
なによりも、目の表情がそっくりだった。
私は、彼女の作るオブジェを一度、展覧会で見たことがある。
それは、テグスのような細く透き通った線を、
木枠に縦横にはり込んでカンバスのように仕立て、
その線に、溶かした蝋を垂らして、形を描いていく
というものだった。
これを何層か重ねると、蝋をたらした形が三次元に浮かび上がって見える。
白い影のような、静止した雲のような、淡いはかない立体が、
壁面にふわりと、たちあらわれる。
でも、そのふわふわした影のようなものを構成しているのはあくまで
手でしっかり触れることのできる、シンプルな固形物の論理的構造なのだ。


あのオブジェの、ソリッドで規則正しい構造が創り出す、
決して情緒的ではないけれども優しく柔らかい、幻影的なイメージは
UTさんの持っている印象とどこか、かさなるところがあった。
彼女は外向きの関心を隠さない。
本来は、私がインタビュアーなのだから
私に何か聞かれるのを待っていても良さそうだし、
自分の話を始めてしまってもいいわけなのだが、
彼女は私に質問をするのだ。
それは、沈黙が不快でムリにしゃべっているのでもなく、
社交辞令的にそうしているのでもなかった。
彼女は、「他者」に関心を持っているのだ。
その関心は、しかし、
べたべたした感情をあらわにする感じを一切含まない。
たとえば、どんなにエモーショナルに演奏しても、
楽器の演奏には一種の、ロジカルな距離感がつきまとう。
それは、声を出して歌うこととは全く違っている。
この、「楽器の距離感」みたいなものが、
UTさんの「関心」に組み込まれている気がした。


UTさんは、高校時代、フィンランドに1年間留学した。
語学に興味があって、留学を希望したのだが、
システム上、希望通りのところには行けなくて、
第六希望くらいのところに書いたフィンランドに決まった。
行き先にはそれほどこだわりはなかったらしい。
フィンランドでは、ホームステイ先の家の子供と同じ高校に行き、
普通の授業を受けた。
フィン語は日本語と並び称されるほど難しい言語だそうだ。
でも、UTさんはなんとかしゃべれるようになった。
やっぱり、若いから頭が柔らかかったんですかね、
向こうの高校はこっちの大学と同じような選択制なんです、
だから最初は音楽とか、美術とか、
語学が障害にならないような科目を選んで、
そのあと慣れてきたら、数学とかそういう、
本格的な授業をとるようになりました。


フィンランドから帰ってきた後、
日本の高校を卒業し、大学に進んだ。
専攻はスペイン語だった。
他の言語もやってみたくなったんです、とUTさんは言った。
4年間スペイン語をやって、卒業後、
就職活動をしたのだがどうもピンと来ず、
ギリギリになってフィンランドでの派遣職員の口をみつけた。
試験にパスし、すんなり赴任した。
行きたい気持ちが強かったので、迷いもなかった。


ヘルシンキは小さな街で、とても静かなんです。
夏は一晩中明るいのでそれなりににぎやかなんですが
冬なんかみんなあまり家から出てこないし、
仕事が終わった後などは、けっこう時間がありました。
それで、文章を書いていたんです。


UTさんは、文章を書くのが好きだ。
いつか文章を書く仕事がしたいと思っている、と言った。
どんなものを書くんですか、と聞くと
小説とか、と答えた。
書くのは短いものが多いです、
筋とかはあまり考えてなくて、
書いているあいだに話がどっかいっちゃう感じです、
プロットって何?みたいな感じです、と笑った。
彼女はWebサイトを持っていて、そこで作品を発表している。
読者が何人かいて、感想をコメントしてくれるのだ。
内容は、青春ものというか、恋愛ものが多いらしい。
フィクションだが、まったくの想像で書くのではなく、
実体験にもとづいて書く。
ファンタジーとかは絶対に書けない、と彼女は言った。
やってみようと思ったことがないです、ネタを思いつかない、と笑った。


UTさんの話すことは、
私は、とてもよくわかるような気がした。
私も以前は小説を書いた。
書いているうちに登場人物は勝手に動いたりしゃべったりしはじめる。
彼らがどういうつもりなのか、見当もつかない。
昨年出版した「12星座」にも、ちょっとしたストーリーをつけたが
あれもそうだった。
どういうオチになるのか、最後まで解らなかった。
たとえば、夜眠るあいだに見る夢に
不思議と筋立てがハッキリしているものがある。
それと、この「小説を書く」「物語を書く」という行為は
どこかしら似ている。
もちろん、そうではなくて徹頭徹尾、
最初から最後までの展開を意識的に「作る」ことができる作家もいるのだろうし
もしかしたらそっちの方が「本式」なのかもしれないが。


お芝居でもそうだと思うのだが
完全に「演技しているだけの演技」だと、
それは「うそっこ」にしか見えない。
読み手や観衆が感情移入できるほどに「本物」になるには
そこに、作者や演じ手が「本当に感じたこと」が
まるっと正直に入っていなければならない。
彼女もまた、それをやっているのだろう、と思った。
一人の人間の経験はとても小さい。
どんなにダイナミックな生き方をしていたとしても、
経験の量には限界がある。
それでも、その経験の中からしか、
多くの人の心に何かを呼び起こすものは、生まれないのだ。
どんな荒唐無稽なファンタジーでも、
一切が完全な想像に基づいて書かれる、というのは
あり得ないことだろうと私は思っている。


2年の任期が切れて、UTさんは日本に帰ってきた。
そのままフィンランドで就職することも考えたが、
ちょっと難しい感じがしたし、
一度日本で就職してみるのもいいかな、と思った。
帰国後数ヶ月して得た今の仕事は事務系で、
毎日ぴったり定時に終わる。
そういう仕事を選んだのは、書く時間を確保するためだった。


喫茶店に入って、何時間も書いてしまう時もあります。
いつもノートとペンは持ち歩いているし
思いついたことを、よくメモします。
書いていて、夢中になってしまう感じになることがあるんです。
そういうときは時間が飛ぶように過ぎていくんです。
これらのことを、私とUTさんは
好きなミュージシャンの話でもするみたいに
頷きあいながら、かすかな自嘲混じりの笑顔で話した。
そういう感じは、ほんとに同じなのだ。
書いていて、ランナーズハイみたいになることがある、
それは週報でもたまにそういうふうになる。
でもそんな「ハイ」がくるまでには、時間がかかる。
誰に頼まれたわけでもないのに、
「書かなきゃ」という義務感のような、
宿題を忘れないようにしなきゃ、というのと似た感覚が
常に心の周りにつきまとっている。
仕事でもないのに、作品を書かなければ、と思ってしまうのだ。
そういう自分の妙な感覚には以前から気づいていたのだけれど、
彼女と話していて、そのことが改めて、
まったく奇妙な、奇異なクセのように思えた。
これは体質みたいなものなんだ、
それも、どうも、指の間に水かきがある、みたいな
そんな生まれつきの特徴に似ているのだ。
だれかに「そうなれ」と焚きつけられてそうなったんじゃない。
焚きつけられても、なれない。


UTさんの中には、2つの思いがある。
書くことはまだ、趣味の範囲を出るものではなく、
人様にお見せ出来るようなものじゃない、という気持ち。
そして
いつか仕事になればいい、
それにはまず、出してみないとしょうがない、という気持ち。
この2つは、UTさんのなかで
せめぎあうでもなく葛藤するでもなく
「もう少ししたら」という時間軸の先のほうに交点がおかれていた。

        • -


ゆかりさんの占いには、反応はあるんですか?
と、彼女は私に尋ねた。
個人占いや週報など、私はたくさんの「占い」を書く。
占ってもらった人は、占ってもらいっぱなしですよね、
それへの感想とか、反応ってあるんですか。
私はちょっと考えた。
そうでもない。
多分私はすごく恵まれている方なのだと思うが
占ったらたいていの場合、レスポンスがある。
確かに雑誌の記事とかは「無音」だけど、
サイトでの掲載はわずかでも、メールやコメントが寄せられるし、
それはもしかしたら、一般的な「作家」よりも
もしかしたら、レスポンス率が高いのではないかと考えている。
それはもし本当だったとしても、当たり前のことだ。
占いは「貴方は」という2人称の文章だ。
「貴方は」と言われたら、答えたくなるのは自然な心の動きだとおもう。
それが不特定多数にむけられたものであると解っていても、だ。
彼女にそういう意味のことを答えると、
彼女は納得したような表情で言った。


私は、読み手から感想をもらうと、すごくうれしいんです。
読み手が読んでおもしろいと思うものを書きたい。
楽しみにしてくれてる人がいて。
続きはまだですか、って催促されることもあります。
こういうものを読んでみたい、という人もいます。
それを聞くと、そういう形で書きたいと思います。
書かなくちゃ、という気持ちになるんです。


その気持ちは私にも、くまなくわかる。
「筋トレ」を立ち上げてから8年、
私はそれがあったからやってこれたわけで
もし誰にも読まれず、誰もなんにも言ってくれなかったら
私は、いつの間にか自然に、書くのをやめていただろう。
同じ書き手として、と私は思った。
基本的に「感じること」って似ているのかなあ、と。
体質みたいな、人種みたいな、なにかそういうことが。


UTさんは最近、プールに通い始めた。
私もそうだった。同じ同じ。
で、友達というか、話す仲間がけっこうできてきました。
え?それは私は違う。
彼女は人に強い関心を持っている人だけれど、
自分から積極的に話しかけるような感じには見えない。
いわゆる「おとなしい」印象の人なのだ。
どうやって知らない人と仲良くなるんですか?と聞いたら、
彼女はとてもおもしろいことを言った。


私は、人の顔を覚えるのが得意なんです、
一回見ると、ほぼ記憶してしまうんです。
だから、ジムで見た人の顔は忘れないんです。
それで、ジムの外とか、違う場所でその人にあったとき、
「あっ!」という感じで、反応しちゃうんですね。
相手は私のことを覚えていないのでびっくりするんですが、
ジムに来てる方ですよね、というと、
そうです、って、そこから挨拶したりするようになるんです。


この話はすごくおもしろかった。
見ていて、覚えていて、そこから何かが生まれてくる。
たぶん、人は、自分を覚えていてもらいたいのだ。
覚えていてほしい、関心を持ってほしい、と
心のどこかで望んでいるのだ。
望みながら、自分がそうして欲しいと思うほどには
他者に対して、それができない。
見て欲しい、けれども、見ていない。
理解して欲しい、けれども、理解しようとしはしないのだ。



なのに、彼女は、他者を覚えることができる。
こんな「見る」力を持っている彼女が
私は、すごく羨ましかった。
私は、人の顔を覚えることが、病気かと思うくらい苦手なのだ。
こんなインタビューをしているにもかかわらず
一体、私は目の前のこの人に
この人が他者に対して抱くような、透き通ったクールな、
明るく響く「関心」を果たして、持てているだろうか
と、全く自信がなくなってしまった。


彼女が私にむける「関心」は、
私を心地よくさせる。
なれなれしくもあつかましくもない。
だから、わずらわしくもうっとうしくもない。
それは彼女の「関心」が、
いかにも無心で、外側に開かれているからだ。



この人が持っているような、解放された「関心」を持っていたら
どんなにいいだろう、と羨ましかった。
私は私の感情に支配されすぎていて
私は私の思考に支配されすぎていて、
外の世界に対して本当の「関心」を
実は今まで一度も、持ったことがないのではなかろうか。
たとえば、映画を見ても、小説を読んでも、
私はその中の登場人物の気持ちにあまりにも飲み込まれてしまうので
文章の技術だのカメラアングルだのには、ほとんど気づく余裕がない。
こういう「余裕のなさ」には以前から気づいていたのだが、
彼女のクリアな「関心」のありかたに触れて、
動揺した。
私の「関心」は、どうも、閉じている。
だから、入ってくる量が多分、相当に制限されているのではないか。

              • -


彼女は今、もやもやっとしたものを抱えている。
フィンランドでの体験、英語、スペイン語、文章を書くこと、等
自分で積み重ねてきたことが、
いまはまだ、バラバラになっていて
まとまっていないのだ。
スペインには、まだ行ったことがないらしい。
今の仕事ではスペイン語と英語は少し使うけれど、
自分の経歴や技術をすごく生かせているという気はしないんです。



なるほど、と思った。
私も、大学での専攻は経済学部だったし
その間、作家になりたくて小説を書き、
そのあとIT系の企業に就職して少しプログラマなどをやり、
適当に本を読み、心理学の勉強をし、星占いを遊び、
最終的にこれらがまとまっておおらかに仕事の形をなしたのは
ここ2,3年の話だ。
それまでは、ITは仕事、星占いは趣味かバイト、
心理学は将来資格を取りたいための勉強、で、
別々のテーマだった。
それがどこかでごちゃごちゃっと組み合わさって
今の仕事があり、
更にもう少し先までいけるんじゃないかと、
旅行に行ったり、人に会ったり、試行錯誤している。


彼女の中ではたくさんのことが生成され続けていて
それがこの先どこかで、
立体的に組み上げられて動き出すことになるんだろう。
ホントに若い時から一つの道を見つめてまっすぐ進む人もいるけれど、
多くの人は、まずはいろんな部品を作り、
部品がある程度そろって初めて、
それを組み立てて、一つの「仕事」という実体を
作り出すことになるのではないだろうか。


たとえば、「適性診断」というのがある。
仕事は世の中に予めあって、
そのなかから自分に合ったものを選んで自分をはめ込む
という発想だ。
でもそれは、少し違うんじゃないか、と思う。
あくまで、「部品」は、幾多の固有の経験に寄って創り出される。
そして、その「部品」をあつめてダイナミックに組み上げた時、
「仕事」は、そこに生まれるのだろう。
その「部品」はしばしば、自分に合わない経験からも
創り出されることがある。


彼女の書いたものを見せてもらうことはなかったのだけれど
この、なんでも記憶してしまう、クールで柔らかな「目」は
彼女の大きな武器だと思った。
私にはそんなのナイからだ。
彼女を思い出すと、この目の印象について考えてしまう。
それは楽器のように敏感に正確に反応する。
だけれども、楽器自体はその刺激によって変化しない。
冷静だけれども、優しい。
注意深いけれども、柔らかい。
そこにあるのは「感情」ではなく「感性」と呼びたいような何かだったが
この力は、とりつく島もないような無機質なものではなく
生気をまとって、色彩豊かなのだ。
それは、小鳥のさえずりが人の気持ちを動かすやり方と、
とてもよく似ている。