石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

unsaid


「語られなかったこと」
っていうのがたぶん
とてもいっぱいあるんだ。



そのことは知りようがないし
知ってもしょうがないんだろうけど
そういうのをもっと重視できたらなあ
と思う。



魔法使いみたいな洞察力で
そこに語られなかったことを察知したい、というのではなくて
ただ単に
そういうものがあるのかもしれない、って
考えたいということだ。


見えているものや説明されたことだけからわかること、
そのむこうにもっとある、
語られ得なかったことがある。


それを探ったり勘ぐったりするということじゃなくて
そういうものがあるんだろうな

だから、今語っているその人のその気持ち、以上の何かがもしかしたら
あるのかもしれないな
と仮定すること
更に言えば
あるのかもしれないし
ないのかもしれないな
と考えておくこと。


もしそうできたら、多分
もっと違う反応ができるんだろうと思う。


それが多分
「考える」
っていうことなんだろう。


感じることや味わうことは
見えていることや話された言葉から容易にできる。
それも確かに大切で
やり逃すことも多いけど


もうひとつ大事なのは
考える
ことなんだ。


考える
っていうのは
そこに見えていないもののことまで扱うっていうことだ。



語られなかったことの存在を
感じるのでも、見抜くのでも、覗くのでも、暴くのでもなく
ただ、それが「あるかも」と想定するんだ。
それは、
あるのかもしれないし
ないのかもしれない。



でも
あるのかもしれない、と考えたとき、
それに応える言葉が変わる。
選択が変化する。


行間を読み取るのでも
ピンと来るのでもない
特別な鋭さや感受性がなくてもびしっと成立する
「思考」の力だ。
そこには
予測はあるけど期待はない。
誤解はない。
「解釈」がないからだ。
思考は、そのこと自体の内容を決められないのだ。
なぜなら、それらは「あったとしても語られていないから」だ。



思考は行動を選択させ、反応を選ばせる。
でも、事実については限りなく保留する。


だって語られなかったことがあるかもしれないのだ。
それは知り得ないのだ。
であれば
決めることはできないんだ。


「それが事実だ」なんて決めないままで
本当に起こったことについては考えたっぱなしで
それでも、行動していく。





たぶんそうゆうことなんだろう。