石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

番外編2

Fさんはある日
7つのお姉ちゃんと4つの弟くんを
マクドナルドに連れて行った。


ハンバーガーを食べながら
2人がこう言いだした。




「どっちのほうが好き?」



お姉ちゃんと弟くんのうち
お母ちゃんはどっちのほうが余計に好きなん


という、普遍的な命題を投げかけてきたのだ。
ああ、それは必ずあるみたいですね
と私が言うと
そうですね、時々言うんですけどね
とFさんが答えた。
こういうときはね、
「どっちもすき」
はダメなんですよ。
どっちかえらべって言われるんです。



Fさんは2人にこう言った。


「これから、テーブルの下で足を蹴ったほう。」


そして、えい!と2人の足を両足で蹴りました

してやったり
の笑顔で言った。


その光景を見ていた白人のお客さんが
すごくびっくりして眉をひそめてました
だってそうですよね
いきなり子供の足を蹴るお母さんってどうおもいます?
とFさんは笑った。



お姉ちゃんは両方蹴ったのではと疑ったけれど
弟くんはそれで満足だった。




どっちかと2人きりのときは、
まちがいなく「あんたよ」と言うんです。
育児書なんかには絶対どっちとか言ってはイケナイって書いてある、
専門的には違うのかもしれないけど、
でも、生活の中で、その子たちがそう言った時に
どっちも、では納得ができないと思うし、
あんたのほうがすきよ、って言ってイイと思うんです。


Fさんはそう言った。
私もそう思った。

「こっちのほうが好き」
という相対評価は必然的に
「そっちじゃないほうはすこししか好きじゃない」
を導き出す。
でも、ここでの「こっちのほう」という
あくまで相対的な言葉には
不思議な絶対性があるのだ。
お姉ちゃんの方がすき、で、
弟くんの方がすき、で
論理的には「ウソをついた」という事実まで背負って
ある意味、ウソという悪を引き受けてこどもに
絶対のOKとYESを出していくお母さんの強靱さがあって
すごく納得できた。


子供とお母さんの関係ってそのくらい
相対性がないのだ
「絶対」でできているのだ、と思った。
この「絶対」というのは
母性が完全だとか、絶対に子供がカワイイとか
そういう意味ではない。
これとこれを比較して論評して分析して
ウソかどうか論理的に判断して
というようなロジックがほとんど機能しないし
もとめられてもいないのだ。
「どっちも」
というのではなく、
「あんたのほうがすきよ」と両方に言える
そのことが求められるのだ、という気がした。


本当はどうなんですか?
と尋ねたら、
やっぱり、上の子は入学式でも参観日でもなんでも
とにかく「初めて」を一緒にやりますから、
思い入れがありますよね、
下の子については、そういうのはないけれど
上の子のときに一生懸命やった分、
みえてくるものというのはある気がします。
と返ってきた。


私も子供の頃、
妹と自分とどっちが好きか
と親に聞いた記憶がある。
お風呂の中で、母と2人だったとおもう。
そのときのことを思い出して
一体私はどんな気持ちでそう言ったんだろうな
と考えた。
何かそう聞かなきゃいけなかったんだと思う。
それをききたい、よんどころない理由が
私の心にあったのだ。
それはなんだったんだろう。
思い出せるような気もするけど
まだ思い出せずにいる。