石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

本。


お休みします


といいつつ
現在、さまざまなことが進行中なのであるが




下半期占いの本「星栞(これで『ほしおり』とよむ。造語。)」が
佳境に入っているのである。
といっても
私のことではない。
原稿はだいたい3月中に上げたので
いろんなこまかいところとか、チェックとか
しびしびと継続するところはあるんだけど
今「佳境」なのは私ではない。



毎年(といってもこれで三冊目だが)、
コラボレーション
を画策してきたわけで
最初の星栞は山口達巳さんの写真と絵、
2冊目はうえだ幸平さんのイラストを
もりもりに入れて頂いた。


で、今年。
今年は、実は、再度うえださんの絵をお願いした。


うえださんは大阪在住である。
で、去年はちょうど、
大阪朝日カルチャーセンターのレクチャーや
サイン会などのイベントがあったので
大阪で、編集者さんと私とうえださんの三人で、おひるごはんを食べた。

そのとき
うえださんに
「また次もよろしくお願いします!」

改めてお願いした(ように記憶している)。


それはジュンク堂でのサイン会の直前であり
普段着慣れないフリルの付いたワンピースを着たりして(いや、メイド服じゃないです)
その場で実は「占いじゃない本」の話も出たりして
めちゃくちゃコーフン、というか
とにかく
テンションが普段とはまるで違う状態だったのを覚えている。
(だからはずみで・・という意味ではない。それ以前にすでに考え抜いた末の直観。)


私は、絵や写真といっしょにテキストを置いてみるのが大好きで
最初はすみさんに絵を使わせてもらい、
そのあと福浦さんと一緒にネットプリントをやって
本では、やまちゃん、うえださん、相田さんと一緒にお仕事させてもらってきた。
でも
やまちゃん・相田さんと、
うえださんとは、
ちょっとちがう。
というのも
やまちゃんと相田さんのときは
「作品のストックのなかから使わせて頂く」ということだったのだが
うえださんには、イラストを描き下ろしてもらっているのだ。


テキストを出して、読んでいただいて、
それに、絵を描いていってもらう。
前作も今作も、うえださんとの「星栞」は
絵本みたいな作りになっている。
つまり、単に文と絵、ということでなく、
レイアウトの問題が大きい。
テキストをどう置いて、イラストをどう配置するか、で
イラストの形が変わってしまう。
うえださん、デザイナーさん、編集者さんで
漆塗りのようにやりとりをかさねながらページを決めていく。
この段階では私の作業はあまりない。
食い逃げ
みたいな感じもする(いや、深い意味はないんだけど)


うえださんの絵は、決して「テキストの説明」ではない。
絵本は、文章に書いてあることがそのまま絵になっているけど
私の文章とうえださんの絵は
そういうつながりは持っていない。
多分、ジャズとかのライブで、
1つの曲の中で
私はギターソロ、うえださんはピアノソロ
をそれぞれ順番にやってるみたいな感じだなあ
と思ったりする。
お互いにある意味そっぽを向きながら
同じ曲の中にいる感じなのだ。


「コラボレーション」
collaboration。
辞書で調べたら


[1] 協力; 共同研究, 共同制作, 合作; 協力の成果[所産].
[2]対敵協力.


と出てきた。
なんか、もともとは仲間じゃない人たちが
いまだけ協力しましょうね
みたいな
そんな感じの言葉なのだ。
一致点が少なかったり
違う分野や立場にいたりする間柄で
「今一時的に、同じ目標にむかって力を出し合いましょう」
みたいな
ある種の「仲の悪さ」が土台になっているのが
「コラボレーション」
なのかもしれない。


これとこれをまぜたらどうなるのだろう
という興味は
子供の頃からなんとなく人の中にあるわけで
だからしばしば
絵の具とかクレヨンとかで画面や壁がめちゃくちゃになってしまうのだが
「まぜる」
というのはあれだ
つまり
エントロピーが増大しているのだ。



エントロピーを保ったまま組み合わせる
関係させる
ということは
お互いによほどワガママで自己主張が強くないと難しいのかもしれない。
併置するけどまざらない
ようにするためには
相当、お互いがソリッドでなければならない。
やまちゃんや相田さんと一緒に本を作った時は
文章と画像が別々にできあがったところで
ご対面
だったわけだが
うえださんの絵はそうじゃない。
私が目をつぶって投げたボールをうえださんが受け取ってドリブル、
ちょっとパスを回したりしながら
最終的にゴールに入れてもらうような段取りになっている。



今回のうえださんの絵は、
無論前回同様にすばらしいのだが
前回とは、だいぶ違っているように思える。
うえださん自身がそれに気づいているのかどうか解らないのだが
多分
他人から見る方が、こういうことって
わかるものじゃないかなとおもう。



うえださんの上がってきた絵をみつつ
私もちゃんと変化しているのだろうか
もし変化しているとしたら
それはどういうふうに変化しているのだろうか

考えてしまった。



ミュージシャンにとって
「新曲を出す」
ということは
なかなか複雑なことなのだ
という話しを以前、聞いた。


つまり、
名曲ができてそれが最高の名曲でこれ以上はないです
というのが、目指すところなのだ。
でも、「新曲」を出さねばならない。
新しい曲を出していかなければならない。
素晴らしい名曲を目指して作ることと
どんどん新曲を出していくこととは
その奥底に
矛盾をはらんでいる。


名曲が1曲、で、それがユートピアだ。
でも、現実の世界ではそうじゃない。
そうならない。


ユートピアは静止している。
永久機関のように、同じことを繰り返していく。
ユートピアのイメージには「変容」は含まれない。


お互いに混ざり込まない形でぶつけあってそこに
「何か」が生まれるためには
一方だけが変容して、もう一方が停止していたのではだめだ
とか
考えた。


画像とテキストを組み合わせた時
いつも
「やばい、負けるかも(汗)」
と思うのだが
今回もそんなかんじでちょっと
額に縦線が入ったり(入らなかったり



なんというかいつも(まえにもどっかで書いたようなきがするけど
北島マヤを見る姫川亜弓
みたいな気分なのだった(わかるひとだけわかってください