石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

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「あれいいよねー!」
「てか超やばいよねー!」



という具合の


「好きなものをすきだとかいいとか言い合うコミュニケーション」


というのが

人間社会では 早くも幼稚園や保育園の時代から発生し
それが大人になり老人になって死ぬまで、連綿と続いていくワケなのだが


そんなの意味ねーよ つまんねーよ


と思っていた関係でいつも友達作りが手薄だったわけなのだが



最近
エレカシのアルバムレビューとかmixiのファンクラブ的コミュニティとかを
ずーーーっと見て楽しんでいる自分がいたりして


なんだよフツウじゃねーかよオレ



とつぶやいてみたりする
のだった。



何か自分の好きなものを
「これいいよね!いいいい!」
と言い合うのっていうのは変な快感がある。


あれは
なんなんだ。



以前
「そいつは人間的にはどうしようもないヤツなんだけど 
 俺が好きなバンドと同じバンドを好きだったからまあいいかと許している」
という趣旨の話をきいたとき、その瞬間は
いみわからん
と思ったけど
こうしてみると少し意味がわかった(ような気がする


そも
「レビュー」というのは
その作品を未購入の人にその作品の良さを紹介するためのものだ
と思っていたが
どうも違う機能があるのだな。
つまり
「いいよね、あれすごく」「だよね」
という
社会的つながりを形成するための土台となるコミュニケーション手段なのだろう。
星いくつ
というあの制度もすばらしい。
星が少ないやつは不愉快だから読まない、ということができる。
自分が好きなものをけなされたらイヤだ
という気持ちは
だれだって多少あるだろう。
そういうときは
そういういやなものを回避できるわけだ。
逆に
いやなものを
「あれやだよねー」「やだねー」「だねだね」
と言いたい時は
星が少ないのを拾って読めばいいわけだ。
なんと巧妙なシステムであろうか。


ただ
「いいよねー」
「すごいよねー」
「天才だよねー」
「傑作だよねー」
と言い合っているだけで
いや
言い合うどころかただ単にそれをだまって読んでいる、ただそれだけなのに
なんでこんなに楽しいのか・・・




これは
人間を社会的存在たらしめている構造に基づいた根元的快楽なのであるのである
つまり食欲とか睡眠欲とかと同じ
社会的存在になることで力を得た、人間が人間であることの動力なのである
などと



かつてバカにしていたことを今粛々とやっている自分を正当化するのだった。



つまりあれだ
どんなことでも
バカにしてはイカンのだな。  ふ。

    • -


しかしあれだ
「だよねー」
と言い合うことの快感や安心が勝ってしまい
それがホントに好きかどうか
というところが
飲み込まれてしまう場合もあるんだろうなと思える。


私は、本当に自分が納得しなければテコでも動かないのです
というタイプの人にはそういう危険性はないだろうが
目の前にいる人を幸せにするのが私の行動原理です
というタイプの人にはしばしば
「だよねーと言うために好きになる」
という現象が起こる
のではないかとおもわれる。




事業をやるために組織を立ち上げたら こんどは
組織を持続させ強くするために事業を立ち上げなければならなくなる
というのと
それはちょっと似ている
ような気がした。


まる。