石井ゆかり@筋トレのブログです。
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lose


大切な人を今日、失いました
というメールをもらった。
どんなにか、苦しいだろうと、胸がいたい。
なにもかけられる言葉が見つからない。






誰かに何かしてあげたくても
ほんとは、なにもできないのだ。
だれもが、自分の大切な人の役に立ちたいと思うけど
本質的には、なにもしてあげられないのだ。
人間は絶望的に無力だ。



誰かを助けたいとか救ってあげたいとか役に立ちたいとか
誰もが思うけれど
それは本質的に、ムリなのだ。
人はどうしようもなく無力で、なにもできないのだ。
そしてそれは悪でも何でもなく
徹底的に「しかたがない」のだ。



なにもできない。


そのなかで、接触を持ち、関わり合ってなにがしかが変化した、その体験は
奇跡のようなことなんだと思う。
それは「役に立とう」とか「助けてあげよう」とかじゃなくて
もっとワガママで直観的な
ある種の「反応」のようなことでしかない。


救うことなどできない。
どんなに近くにいても手が届かない。
でも、ほとんど奇跡的に「関わる機会に遭遇する」ことはある。
大切な人が「大切な人」になったのは、それが原因で
そのことは消えない、厳然たる事実だ。



消えない、というより
消さなくても良いし、消すべきでない
というほうが正しいかもしれない。
誰もがしばしば、素晴らしい価値のある宝物を倉庫にガラクタと一緒につっこんで
その存在も価値も忘れてしまうことができるけれど
それは本当はそのように扱うべきではないのだ、と思う。
猫に小判、豚に真珠、そうあってはならないのだ。



なにもできないはずなのに
過去に何度か、その限界を不思議なやり方で超えた瞬間を思い出す。
こちらから超えたときもあって、それはどうやってできたのかわからないし
向こうから超えてもらった時は、信じられないくらいのうれしさを味わった。
そのあと、また
無音の、無力な空間に戻るけれど
この2つの状態の生起する様は
やっぱり、虹が立つ感じにちょっと似ている。


虹は探しても見つからないけど
思いがけない瞬間にふと、そこに立ち現れる。
探しても見つからないからって存在しないワケじゃない。



それはたんなる印象の問題でしかないんだ。