石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

くり返し

私は
何回も同じ場所に行くクセがある。
旅は特にそうで
行ったことのある場所に行きたい。



それはなんでかなあ
というのは昔から不思議だったんだけど
たぶん生来の臆病と
もうひとつ
理由を見つけた。


それは、
そこのことを語れるかどうか
ということがどうも
私の中で問題になっているせい、らしいのだ。


先日、「インタビュー」の記事で、Wさんの回、
原稿を書いてチェックして頂いたのだが
専門的な言い回しについて、
丁寧に直して頂いた。
多分、正確に聞き取ってメモを取っていれば
それらは書けていたんだろうとおもう。
でも、それができなかった。


文章を書く時に
その世界の言い回し
というのはとても大事なような気がする。
だから、そのことが良くできている小説を読むと
どうやってこの人はここまで、
この世界の「ネイティブ・タン」みたいなのを獲得したんだろう!?
と頭が下がる。
そして本気で
「どうやってやったんだろう・・・」
と悩む。
劣等感を感じる。
私はあまり小説を読まないんだけど
亡国のイージス」っていう小説をたまたま、ずいぶん前に読んだ時
すごく嫉妬した。
こういう言葉を手に入れるにはどうしたらいいんだろうとおもった。
それは、専門用語をその場にいるかのようにちゃんと使う、ということだ。
私はシロウトだから、その世界のプロから見たらもしかしたら
不自然さもあるのかもしれないけど
でも、少なくとも私には、「まるでほんとみたい」に思えた。
それはたとえば、演技力みたいなことだと思う。
「まるでほんとみたい」でないと
しらけてしまうのだ。



多分私が同じ場所に何度も行きたがるのは
その場所を語るためのなんらかの
その場所に根ざした言葉を獲得したいと思うからかもしれない。
それはその土地の言語や方言を学ぶという意味ではなくて
なんというか
わざとらしさや不自然さのない形で、そこで起こる出来事を書くにはどうすればいいか
ということが問題なのだろう。
それには、そこに何度も行って
頭で意味を理解し情報を仕入れる、のではなく
自分の身体でなにがしかを感じ、誰かとの関わりの中で心を動かさないといけない。
それを成立させるには、たとえば
2泊3日とかではなかなか難しいのだ。



だから
旅の終わりにはいつもかならず
またこよう
と思いながら、その土地を離れる。



時間が経ってしまうと、その場所は景色を変えるけど
それがわかっていてもいつかまた
そこを訪れたいと思うし
一度忘れて、また思い出した頃にやってくるのは
昔読み倒して押入の中から引っ張り出した本を再読するみたいに
心躍る出来事だと思う。



時間の隔たりはそんなふうに
拒絶にはつながらない。
いつかまたね、っていうのは
そんなにあやふやなことじゃない。
約束でも拘束でもないけど
ウソじゃない。


そこの言葉が身体に入ってしまったらいつだってそうだ。