石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

wait


人生は

待ち時間でできている。


トーストが焼けるのを待ったり
お湯が沸くのを待ったり
コピーが終わるのを待ったり
銀行の窓口で待ったり
電車が到着するのを待ったり
生まれてくるのを待ったり
運ばれてくるのを待ったり
メールや電話が来るのを待ったり
その人が来るのを待ったり



している。



待ち時間を使ってなにができるだろう。
待ち時間の生産性が勝負なのかもしれない。


新聞や本を読んだり
仕事したり
洗濯したり
洗濯機が仕事を終えるまでに掃除機をかけたり
桜が咲くまで木蓮やイヌフグリを見つめたり
恋人に会えるまで友達としゃべっていたり
天職にたどりつくまでにバイトしてみたり
病気が治るまで痛みに耐えていたり
そんなことなんだろう。


待っているあいだは
ずっと待つ対象が心の中にあって続いている。


心の中にそれが「ある」ということは
なんの意味も気配もないようでありながら
待っていたことがやっと来たとき
ぱっと動ける
というところが、ちがう。
お店に入った時も、
「いらっしゃい、久しぶり」
っていわれただけでなんか嬉しかったりする。



「待つ」と言えば
忠犬ハチ公(連想(短絡的



「忠」
という漢字。
今の日本ではこの言葉はあまりポジティブに使われない(ような気がする)。
多分戦争とか終身雇用の崩壊とか
いろんな事情があってそうなんだろうと思う。
誰か他人とか、組織とか
そういうものにたいして心をぶれさせない
というこの「忠」は
盲信や信仰のような印象を持って
否定されているのだろうと思う。
自分ではなく誰かを中心にして生きることは
かつては美しい生き方とされたが
今はそうじゃない。
無責任な、非主体的な態度、と受け取られる気がする。


「忠告」
という言葉がある。
忠なるがゆえに告げる
ということだ。
この言葉に
「忠誠心」
などという言葉とは少し違った「忠」をみつける。


「忠告」はしばしば、耳が痛い。
それを聞く側は、たいてい、
つらい。
忠告を聞き入れない
ということのほうがもしかしたら、多いのかもしれない。
相手にとって耳が痛いと言うことは
相手と自分の、少なくともそのタイミングでの価値観が違っている
ということだ。


忠である
ということはたぶん
相手の価値観を盲信したり盲従したりすること
とは
違っているのだろう。



心の中心がブレない。
でもそれは、中心を相手に預けてしまっている、ということとも
少し違う。
あくまで自分の中に中心があるから
「忠告」が可能になる。



そういうふうに考えてみると
誰かの内面にある何事かを認めたとき、
その人に対して忠実である
ということは
なんだか、イイコトのような気がする。
それは、愛とか恋とかみたいに変幻しない。
勘違いもないし、はっと気がつく、みたいなこともない。


忠実であるということは、
完全に意識的で、意志的で、しばしば論理的だ。




という文字は、
中という文字と、心という文字からできている。

というのは
かたよらない
という意味だそうだ。
ぐらぐら状況によって右に傾いたり左に傾いたりしない、心。



の方は
心臓の象形文字なんだそうである。
心臓の形をかたどっている。
心臓っていうのは
これが止まると、死んでしまう。
最も重要なところ、という意味なんだろう。



さらに。


心臓移植を受けた人に、
そのドナーのクセや好みが表れる
という話を聞いたことがあるのだが
そんなこともなんとなく
あるのかなあ
と思える。
辛いことや不安なことがあったとき、
嬉しいことや楽しいことがあったとき、
大切な人を心配したり悲しい出来事に出会ったりしたとき、
痛んだりぎゅうっとしたり弾んだりするのは
どう考えても、体感的に
頭じゃなくて心臓あたりだ。
まあ
脈拍が変わるから
ということで説明されちゃうんだろうけど
なんか納得いかない。
あのぎゅうっという感じとか
さわさわする感じとか、
ドキドキする感じとかが
単に「脈拍の変化」とはとてもじゃないが
思えない。



何らかのストレージデバイスか、ちょっとしたCPUが積まれているはずだ

私はひそかに信じているのだが



そのようなものが、何かに対して「かたよらない」。


心というのは
つまりハートであって
それは星占いでは
月に象徴される。


月は変化を示唆する。
満ち欠けする。


そんなふうに、変化するはずのものが
忠実なる場合
変化しないのだ。


心が変わらないのである。
そのまま、なのである。
それは、
何となく心変わりしない
のではない。
多分、心臓移植しても心臓に残って相手にのりうつってしまうような
生き物として絶対の土台みたいななにごとかが
意志とか思いとかいろんな呼び方で呼ばれる、
その基本単位みたいなゆるぎないものが
そこに設定されてブレない
ということが

なのだろう。


であるからして
愛のために死んだ人の数と
忠のために死んだ人の数を比べたらおそらく
後者の方が歴史的には、多いに違いない。


恋と愛の違いは
下心か真心か
という言葉遊びがある。

はその点、漢字の形としては
シタゴコロ組
なわけであるが
よく見れば上に
「中」
とかいてあるので
「下」じゃないのである。
打ち消してあるのである。



そんなふうにつらつらと考えつつ



自分のなかにあるいくつかのかたくななものを思い浮かべるに


私けっこう忠実だな


とおもったり
するのだった。



以上


トーストが焼けるまでに書き上げようと思って
20分オーバー(中断して食った





オーブンレンジを
トースト 強1」
に設定したらここ数日、真っ黒になるのだ。



春だなあ。