石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

リミット


先日の日記


「ラブレター。」
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20080313



に、たくさんたくさんたくさんたくさん、コメントを頂いた。
嬉しい、というかむしろ、
驚きの方が強くて、
ほとんど呆然とするような気持ちで、見ていた。
ちょっと、泣いた。


この日記にコメントを頂くと、
メールでそれが送られてくる設定にしてある。
だが、昨日の夜あたりから
メールではコメントがくるのに
このダイアリーの上ではカキコミがストップした。


おかしいなあとおもってヘルプを見たら
「コメントは1日につき半角5万〜6万字程度まで書き込みでき、
 それを超えますと、書き込みが反映されなくなります。」
とあった。


ためしにコピーしてエディタでコメントの文字数を数えたら
なんと、全角で29000字ほどあった。
つまり、上限をこえていた。



そんな上限があるなんて、いままでちっとも知らなかった。
知る機会がなかった。




13日の日記コメント欄に反映された112件(のはず)はもとより、
反映されていない27件のコメントも
私はメールで、みんな読めました。
ほんとにありがとう。

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休みます


と書いたので
「遠慮なく休養してください」
「ゆっくり休んでください」
というメッセージをたくさん頂いた。
あったかくて、うれしかった。


実は、この3ヶ月についての私のイメージは
「休養」とは、ちょっとちがう。
たしかに
今までみたいに土日もなにもなく常に〆切に立ち向かう
というのはやめる。
1週間に一日くらいは休みたい。
だけどむしろ、私は今までより
忙しくするつもりだったりする。
勉強したり、人にあって話を聞いたりしつつ
今まで以上に、書きたい。


「占いをお休み」して、他のことをする
という期間になると思う。
というか、そうするつもりで、
そうするのだ。



でも、今回こうして「占いお休み宣言」をしてみて
こうして驚くほどたくさんのコメントやメールをいただいて
はてなダイアリーの機能制限を超えるほどのことになってみて
ほんとに
ちゃんと、読んで下さってる人が「いる」んだなあって
あらためて、思った。
それも、こんなにたくさんの。
「福袋企画」のときもそうだったけど、
「実感」させられた。


書き手と読者って
むちゃくちゃ近いのに、
すごく遠い。
いるんだろうなあとおもいつつ
それが実感しにくい。
かつて、日記でちょっと手が写った写真を出したりすると
「石井さんってほんといるんですね!」
といわれたりした。
なんというか、
文章を書く人間というのは
存在が何となく、バーチャルなのだろうとおもった。
でもこれは逆もまた然りなのだ。
「私の文章をほんとに読んで下さってるんですね!?」
という驚きを
メールやコメントを頂いて、常に感じる。
劇作家のあとうさんが「私はお芝居を見に来るお客さんを見るのが好き」と言っていて
私はそのとき、そのことに共感的にはぴんとこなかったんだけど
最近、その意味がなんか、わかるようになった気がする。


最近はまっているエレカシの宮本氏が
「やっぱ褒められたいわけですよ、褒められて伸びるタイプなんですよ」
と力説(彼は何でも力説するが(というか話が全て力説だが(話だけじゃなくて歌も力説だが)))していたが
ほめてほしい、
というわけじゃないんだけど
なんだろう
いや
やっぱほめられたいのかな(どうだろう



このあいだ
あるセミナーというか、レクチャーに行ってきた。
それは近所の公民館で行われた
ベトナム 戦後の経済と社会」
みたいな講座で、タダだった。
ふだんそんなの行かないんだけど
たまたまそのとき、チラシを見つけて
(携帯の機種変の手続きをまつ間に、ショップのとなりの出張図書館みたいなところを冷やかしていたらみつけた)
なんとなく行ってみたのだった。

ベトナム人講師が話し始めて
私は激しく頷いたり、笑ったり、相当オーバーアクションだった。



なぜか。
それは、自分で講師をやってみてわかったのだが
反応してもらうと、安心するのである。

もっといろいろ話して良いんだ

ほっとするのである。

ネタが濃くなるのである。
というか
いろいろ思いつく余裕ができるのである。



だから
その講師にサイコウパフォーマンスをお願いするには
それしかない
と確信して
笑ったり頷いたりしたわけである。
いや
わざとじゃなくて
その講義はすごくおもしろかったのだったが。
ベトナムの平均年齢は24歳くらいらしい。どびっくり。
 (この話をすると日本人はみんな驚くんですが、とその講師がにやりとしたのがおもしろかった(笑)))



もちろん
私は筋金入りの小心者で
いつも、ここにいていいのかなとか私のハナシなんか面白いかなとか思って
緊張したりビクビクしたりするので
とくべつに、反応が嬉しかっただけなのかもしれない。
その講師はたぶん何度も講演をやっていて
誰があくびをしようが寝てようが途中で席を立たれようがまったく関係なく、
サイコウパフォーマンスができるのかもしれない。
でもまあ
同じ人間なんだから
やっぱり
感動が伝わった方が嬉しいには違いない
と思ったわけなのだった。




なにが言いたかったかというと



うまく言えないんだけど
コメントやメールがとてもとてもとてもとてもうれしかったです、ありがとおおお!!
ということと
あと
お休みは「占いを休む」ので、書くのは休みません。えへ。あと週報は続けます。おす。
ということです。

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ありがとう、という言葉はほんとに日常語で
今言いたいことを表すに、用がたりない。


海を見せたいのにちいさな水たまりしか指し示せないような気持ちだ。





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たくさんのコメントのなかに
こういうメッセージがあった。



「占いだから読んでいるというより、ゆかりさんの文章だから読んでます」



私が


「占いだから読んでもらえている」


と書いたことへの、アンサーだった。



この「石井NP日記」は、占いのことはあまり書いていない。
ほとんど書いていない。
こんどの本にも、占いそれ自体を扱った文章はひとつもない。
(占いの現場で頂いたメールや出会った方が登場するものはあるけど)




今までは、仕事で人と会うといえば、
占いの執筆依頼を受けるときだけだったから
名刺を持っていなかった。
相手は既に私のことを知ってるわけで、
必要を感じなかったのだ。
でも、このごろインタビューなど
「こちらからお願いする活動」
をするようになり、
これは名刺、要るな
と思い始め
ちいさなカードに手書きで何枚か用意し、持つようになった。


名刺には、肩書きを書く必要がある。
あれこれ考えた末、
肩書きは、「writer」にした。
字義通り、「文章を書く人」という意味でこう書くことにした。
カタカナで「ライター」ではなく、
「作家」でも「著述家」でもない。
(確定申告の時は「執筆業」と書け、と税務署に言われた)



今の自分がこの肩書きにふさわしいかどうか
と考えると
全く自信がない。
たぶん
「星占い師」
とかのほうが社会に置ける今の私の立場としては
正しいんだろう。



占いを書くことについて、私はまだちゃんと腰が据わらないけど
占いというものをやることの意味を自分の中にちゃんと作れていないけれど
でも、「だからぱっつりやめてしまおう」いう選択肢は
自分のなかに、とても薄くかすかに、ちいさくなったのを感じる。
それは、みんなに止められたから、ではないとおもう。
こないだもある方に
「占い、やめちゃえばいいじゃない、
 貴方がやめたって、他の人のを見に行くだけよ」
と言われてその通りだと思った。
占い師はいっぱいいる。
私が占いをやめたって別に、変化はないだろう。




もう少し先まで進んでみないと見えないものがあるような気がする。
でもいまのところ、少なくとも私は
「占いを書くことと、『writer』の肩書きを自分のものにすることは
 どちらかを選ばなければならない2タクでは、ない」
というあたりにいる。


だから


「占いだから読んでいるというより、ゆかりさんの文章だから読んでます」


という意味のメッセージは
私には無上のエールだった。



だからどうも、何回も書いてしまう。



ほんとに、どうもありがとう。

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ほんとは、
みなさんどうもありがとう
って言いたくないです。
「みなさん」じゃなくて、名前で一人一人呼びたいです、
それができなくてとても残念です。
でもそういう気持ちを解って頂ければと祈ります。



ほんとにほんとに、ありがとね(涙