石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

天衣無縫


行到水窮処、坐看雲起時



知人のSさんからもらったメールにあった。


行きて至る水の窮まるところ
座してみる雲の起こる時を


かな・・・


窮まる(きわまる)
というのは
極める
に近い、すなわち「水源」「みなもと」
という意味であるらしい。


窮まる、なんていうと「窮迫する」みたいに
なんか干上がってしまったような、砂漠みたいな
水がなくて困る場所かなあとおもったのだが
そうじゃないんだな。


窮する
という状態も、じつは
スタートライン
であり

なのかも。


このフレーズには前後がある。


終南別業
     王維
中歳頗好道
晩家南山陲
興来毎独往
勝事空自知
行到水窮処
坐看雲起時
偶然値林叟
談笑滞還期


この「勝事むなしく自ら知る」というのは
景勝地」みたいな、風光明媚の景色を、自分だけが知っている、とゆー意味だけど
このあと、じいさんと会って話をしてるのが
すごく印象的だ。
出家して自由でも、一人で見てるのはむなしい。
木こりのじいさんと話していると、時が経つのを忘れちゃうのだ。


http://www5b.biglobe.ne.jp/~yutakas/yakusisyuu2.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi2/rs138.htm



雄大なスケールのなかの、人の手触り。
Sさんありがとう!

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ある方からのメールで、考えた。


「いさぎよさ」
とはなにか。
どういうスタンスが「いさぎよい」のか。
すごくむずかしい。


引き受けること逃げだすことの境目は何か。
無視することと見守ることの境目は何か。
未練がましさと誠実さの境目は何か。
正直になることと押しつけることの境目はなにか。
なすべき事となすべきでないことの境目はどこにあるのか。
相手が知りたいことと自分が伝えたいことのちがいはどこにあるのか。


自分がどんなに痛んでも
相手を痛めないように守る、というそこに
いさぎよさ
があるのだろう。


いさぎよさ
は他人から見た様子であって
いさぎよく振る舞うことを選択した当人の心の中は
もしかしたら
清潔どころではなく
血や鼻水や涙でぎとぎとのめちゃくちゃだ。
自分で自分を見てもぜんぜんかっこよくない。
いさぎよい
はそういう選択なのだろう。
ほんとうに潔い人は、あまり自分を潔いとおもってはいないのかもしれない。
未練がましくて女々しいと思っているのかもしれない。


それでも実現して意味のある潔さって
いったいどこにあるのだろう。


美容院で斜め読みしたファッション誌には
「潔い」という言葉がいっぱい出てきたが
潔さを実現するには
なにかをリリースするという痛みを感じ、それをこらえていなければならない。
そして、その「リリース」が、
結果として何か大切なものを守っているのでなければならない。


まもりたいのは形式ではなく、バーチャルな未来でもない。
想定ではないし、常識でもない。
だれにも文句を言われない、という地平でもない。
「ふつうこうなるだろう」という十把一絡げの連想ではない。
回数でも言葉でも儀礼でも立場でもない。


まもりたいのは、多分
そこにあるハート、という、厳然たる実体であるはずなんだ。



それは生きていて
時間軸上に、伸びている。