石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

6th-Yさん


インタビュー企画「ロードムービー」、
6人目は、Yさんという30代の女性におねがいした。


待ち合わせたのはいつもの渋谷の喫茶店だ。
ここは地上五階で天井が高く、壁がガラス張りで視界が外にひらけている。
ビルの屋上のネオンや街の風景などが、手触りを感じるほど間近に見える。
夜も昼も、渋谷の街の光が射し込んできて、それが店内にみちていて
話が壁の中の密閉空間にこもるということがない。
いわば渋谷という「土地」を感じながら話せるので、私はここが気に入っている。


ここに来るのはたいてい、
初対面か、1、2度会ったことがあるくらいの相手と待ち合わせるときだ。
私は友達が少ない、というかほとんどいないし
編集者さんとの打ち合わせも先方のオフィスでやる方が好きなので
喫茶店に知人と出向くということはまず、ない。
誰かと一緒にお茶を飲みながら話しましょう、というのは
それこそ、このインタビュー企画とか、出張個人占いのときくらいしかない。
待ち合わせまで時間が余ったときとか、原稿をチェックしなきゃいけないときなんかは、
一人で入ることもある。
でも、基本的に私は酒を飲むので、ひとりでゆっくりぼんやり考えたいときは
居酒屋とかバーに行ってしまう。
だから、「一人でゆっくり喫茶店でお茶を飲む」という体験は、なかなか、ない。


午前中わーっと原稿を書いて、急いで午後、会社に行って、
会社帰りに出版社に寄って打ち合わせをして、
というような日の帰り道。
電車のなかで吊革に半分ぶら下がりながら
このあと家に帰ってしけった洗濯物を取り込んでご飯を作って・・・などと考えると
アタマの天辺からつま先まで「げんなり」してしまうことがある。
身体も頭も疲れ切ってるのに「遠くへ行きたい」状態になる。
どこか、知らない場所で、誰かがいるところで、ひとりぼっちで安心していたい。
この「だれかがいるところで、ひとりぼっちで安心する」ということは
よく考えるとものすごく妙なニーズだ。
一人きりになりたいんだけど
だれもいない空間では、いやなのだ。
人の気配を感じながら、向こうの話が耳に入らない距離感で
ざわめきのなかにぽつんといたい。
そこで、本を読んだりメモを書いたりしていたい。
ぼーっとしてるのも、もちろんいい。
誰も私のことを気にしないけれど
「そこをどけ」とか言ったりしない。
牛丼屋みたいに、客の回転を気にされたりしない。
ハンバーガー店みたいに、絶えず店内を席探しの客がうろうろしていたりしない。
私はここにいても良くて、それで、向こうには人の気配があって
心は静かで、孤独なのだ。


こういう「場所」のイメージは、
お客さんや、お店の人や、建物や、お茶やお酒や、グラスとかカップとか照明とか、
あらゆるものでできている。
「学校」「会社」「お店」などなど、みんなそういう言葉だ。
「学校」といったとき、それは生徒や建物や体育館や先生やそこで成される授業や、
そういった要件全てが含まれる。
人と、ものと、関係性と、時間の使われ方と、
そこで使われる言葉と、社会的な位置づけと。
そんなこんなをひっくるめた呼称が
「会社」とか「店」とか「寺」とかなのだ。
「寺」は昨今では神社仏閣、その建物のことだけを言うのかもしれないけど
多分古い昔は違ったんだろうと想像する。
「門跡」なんかもそんな言葉の一種のような気がする。
しばしばそれらは、未来と過去までを含む呼称なのだ。



Yさんは、長い黒髪の、静かな印象を持った女性だ。
どこかあどけないようなところがあり、
かとおもうと、緑青のように老成した表情を見せたりする。
童女のような好奇心と、現実的な達観がマーブル状に入り交じった印象があった。
「こういう自分である」という印象を固定しようとしたり
あるいは、表現しようとしたりしていないのだなとおもった。
そういうことよりも、焦点が別の所に当たっていて
その焦点は、ハッキリと定まっている、という感じがした。


Yさんは少し以前、離婚した。
家を出て、そのあと1年ほどの別居期間を経て、最終的に離婚を決めた。
結婚するより離婚する方が何倍もエネルギーが要る
といわれるが、
淡々と話されるその表情からは想像できないような
痛手やショックがあったのだろう、と思った。
長い同棲を経ての結婚だったし、
お互いのことはよく解っていたはずだった。
でも、結婚と恋愛はしばしば、違っている。
私の占いの現場でも、そういうありさまはよく見かける。
最初、恋愛している状態の時は
結婚できるかどうかが気になって仕方がないのだ。
結婚したくて、結婚すればうまくいくような気がするのだ。
でも、結婚した後は
そこで新たな問題に遭遇し、悩むのだ。
恋愛は1対1でやるものだけれど、
結婚は、特に結婚してしまった「あと」は、1対1ではない。
家族や、お互いの仕事の関係者や友人関係、その他諸々がくっついてくる。
1対1だった関係が一気に「場」になる。
「家庭」という言葉も、前述の「学校」とか「お店」とかという言葉と
構造が至極、似ている。
家という建築物と、人と、その周辺に広がる人間関係と
土地や気候やお金や、そうした様々なものによって
「家庭」という場が作られている。


Yさんの元パートナーは、自身の実家をとても大事にする人だった。
詳しくは話されなかったけれど、おそらく
Yさんもそれを要求されたのだろう。
普段の生活では、親と同居でもしない限り、
さしたる問題は起こらない。
だが、冠婚葬祭がかさなるとそうはいかない。
Yさんの結婚後、元パートナーの実家では、
それがバタバタと重なった。
不思議なことに冠婚葬祭というのは、重なる時は重なるのだ。
何年も何もなかったと思いきや、
いきなり1年に三回フォーマルウェアをクリーニングしなければならないこともある。
Yさんにもそういう時期が訪れた。
Yさんの元パートナーの実家は田舎の大家族であり、
その人間関係はとても複雑だった。
そういう場で立ち回るには、パートナーとの信頼関係が唯一の支えになる。
でも、Yさんと元旦那様のタッグには、そこで亀裂が生じてしまった。


2人の関係、お互いの実家との関係、
そこでは、他人には知り得ないような複雑で微妙な物語が
たくさんあっただろうと思う。
お互いに、感じていたことや悲しみの形も
違っていただろうと思う。
それは、私にはわかり得ないことだ。
Yさんは一人で懸命に考えてしまう方で、
その考えの「プロセス」を相手に見せることはない方だ、と言った。
どんなに長いプロセスであっても、
話さなければならないのは「結論」なのだ。
たくさんの仮説を立てて、それを一つ一つ現実的思考でつきつめて、
詰め碁のように結論を詰めていく様子がイメージされた。
Yさんの話し方は、論理を追おうとし、正確であろうとする。
情緒的だったり、感情の説明に流れていこうとはしない。
多分、Yさんが深く苦しんだり痛みを感じたりしたときも
もしかしたら、パートナーには
そのようには伝わらなかったのかもしれない、と少し、思った。


Yさんは家を出た。
井の頭公園の近くに部屋を見つけた。
賃貸の申し込みをし、審査が通り、いざ、というとき、
そこを仲介した不動産屋さんに「やめたほうがいいですよ」と言われた。
「大家さんがクリーニング代を出さないって言ってますから」
というのがその理由だったが、
Yさんは申し込みをする段階で、その話も既に承諾していたのだ。
なんだかオカシイと思ったが、
不動産屋さんの言うとおり、別の物件を探すことにした。
そこで、西荻窪の部屋が見つかった。


西荻に引っ越してみて、Yさんはこの街がすこぶる気に入った。
私もその気持ちはよくわかる。
学生時代、私の恋人はこの街に住んでいた。
私は関西の大学に通っていたけれど、
恋人に会うためにしばしば、西荻に来た。
はっきり言って、入り浸っていた。
1年の半分は西荻窪にいたかもしれない。
この街は私にとっては、第二のふるさとと言いたいくらい、
ホームタウンであり、様々なキモチがいっぱいこもった街なのだ。
Yさんが「西荻が気に入った」と言ってくれて
私は地元民のように誇らしく嬉しく頷いていた。
そうそうそうそうですよね
だった。


西荻は、ここに住んでなんとなく街をうろうろするだけで
自然に知り合いが増えてしまうところだ。
古本屋や雑貨屋、喫茶店、時計屋、荒物屋、茶屋、肉屋などなど
あらゆる種類の小さな店が共存している。古い店も新しい店も混在している。
ここには、田舎の人間関係のような脂っこさや甘ったるさのない、
でも、しごくフレンドリーな雰囲気が漂っている。
このフレンドリーな感じはおそらく
ここに住む人がみんなある種「偏屈」だから、ではないかとおもう。
偏屈な人がそのありのままの偏屈を露呈して暮らしているのだ。
それは、「イイ人間ってのはこういう人間」という
コミュニティを前提とした、基準あるフレンドリーさとはちょっとちがう。
つまり「アットホーム」ではなく「フレンドリー」なのだ。
仲間に引っ張り込もうとか、コミュニティを作ってしまおうとか
そういう閉鎖性がない。
蜂の巣のように、
おのおのの巣穴はあるルールにしたがって、しかも勝手にできていて
それがくっつきあいながらむくむく広がっていくだけで
「全体」を統制管理するような思想はないのだ。
偏屈な人間のあいだにも友情や親交は成立する
というのが
中野から西の「中央線文化」だろうと
私は密かに考えている。(あ、言っちゃったけど(爆))


Yさんは長らくある会社に勤めていて
最前線でめいっぱい仕事をしていたが、数年前、身体をこわした。
生活のために仕事をしているはずなのに、
仕事以外のことはどうでもよくなるほど仕事に夢中になるんです、
とYさんは言った。
夢中になったあげくに倒れ、1年ほど会社を休んだ。
そして復帰するとき、彼女は同じ職場に戻ることを諦めた。
もう少し負荷の少ない、補助的な仕事に就くことにした。
今までは自分の意志や決断で仕事を動かすことができたけれど、
今度は、サポートだから、自分の意志ではなく相手の意志やタイミングが優先される。
仕事量も軽減され、身体はラクになったものの、
なんとなく自信を失うような、悔しさのようなものも感じた、
とYさんは言った。


西荻に移ってから、時間の余裕にまかせて、Yさんはこの街を散策した。
自然にふわりと増えていく知人との関わりを楽しみつつ、馴染んでいった。
そんななか、Yさんはこの街に、
強い「物足りなさ」も感じていた。
つまり、「夜中にお茶を飲みに行けるところ」が、ないのだ。
飲み屋さんはあるんだけれど、
喫茶店は早めに閉めちゃうので、
夜、散歩の途中でお茶を飲めるようなお店がないんです、
それが物足りなかったんです。
Yさんは
「絶対同じ気持ちの人がいるはずだ」
と思った。


そんなある日、Yさんは不動産屋の店先にある物件情報を
眺めるともなく眺めていた。
物件情報を見るのは大好きで、別に引っ越しの予定がなくても
じっと見ちゃうんです。
私もあれはけっこう好きなので、とても共感した。
ちなみに私は交番の前に貼ってある指名手配のチラシ等を見るのも好きだ。
好きというのは不謹慎だしちょっと当たらないのだが・・・つまり
あれを見ながら、今頃どこでどんなことをしているんだろう、とか
この犯人やいなくなった人を探している人はどんな思いでいるだろう、とか
そんなことを思いめぐらすクセがあるのだ。
同じく、不動産屋の店先に貼られた物件情報を見る時も、
ここで暮らしたらどんな感じだろう、
ここにこういう家具を置いて、ここから日が射し込んで・・などと
そこでの暮らしを思い描いてしまう。


Yさんはそこで、気になる物件を見つけた。
それは、店舗物件だった。
なぜ気になったかというと、家賃が驚くほど安かったからだ。
駅のすぐ近くで、とても小さな物件だった。
Yさんは、お店などやったこともないし、やる気もなかった。
でも、なんとなくその物件が気になって、
完全にひやかしのつもりで、見せてもらった。
とても狭い、元はバーだったお店だった。
1階がカウンターのみ数席、
あとは中二階のような場所があって、そこは座敷になっている。
その後、気になるままにその不動産屋の前を通るたびチェックし、
さらに、3〜4回もみせてもらった。


そうするウチに入居者が決まるだろうと思っていたのだが、
その店は空いたままだった。
不動産屋さんによると、
つまりは狭すぎて、借り手がつかないのだった。
その店舗を借りるには、軽自動車を1台買うくらいのお金で済む。
要は、失敗してもその程度を「ソンした」と思うだけで済む、ということだ。
Yさんはついに「じゃあ、私が借ります」と言ってしまった。


Yさんのおつとめはフルタイムである。
いわゆる「プロパー」「正社員」である。
平日の朝から晩まで、きっちり仕事がある。
その状態のまま、Yさんはその日から、お店を開く準備を始めた。
「借ります」と言ったそのときは全く何のプランも計画もなかったが
とにかく借りてしまったのだから仕方がない。
ネットや本であれこれしらべて、
会社を病欠して食品衛生管理者の資格を取ったりした。
そして、会社員を続けたまま
賃借決断の1ヶ月半後、喫茶店をオープンした。


Yさんのお店は夜21時過ぎ頃に開く。
月曜と木曜がお休みである。
会社が引けてからYさんは都心から西荻窪まで戻り、
そこでおもむろにお店を開けて、夜中の1時頃まで営業する。
Yさんが「私と同じ気持ちの人が絶対いるはず」と感じていた、
その読みは的中していた。
小さな小さなお店に、すぐに、お客さんが来るようになった。
お客さんは、ほとんど一人で来る。
そして、Yさんが話しかけると
ぽつりぽつりと話し出す。
そして、またやってくるようになる。
一人で本を読んだり、ぼーっとしたりして
1時間、2時間と過ごして、帰っていく。
会社から家にまっすぐ帰るんじゃなくて
その間にワンクッション置きたい、っていう時があると思うんです、
とYさんは言う。
私は、飲食物を売っている、というのではなくて、
飲食物を媒介として、「いてもらっている時間」を提供してるのです。


時間と、空間。
何か出来事を表現しようとするとき、
「空間」を語ると、それを「時間」と言い直したいような気がし、
「時間」と言えば、それが「空間」と表現すべきであるような気がする。
普段の生活のなかでは、
空間という物質的に静止したもののなかで
時間という得体の知れない流れが私たちを押し流しているように感じられるが
相対性理論の中ではそうではない。
不変なのは光の速度であって、
時間も空間も相対的な要件、であるらしい。
相対性理論を説明しようとして時間と空間を描くと
時間は実数、空間は虚数で表される、と物の本に書いてあった。
私はそっちの分野は全然詳しくないのだが
高校時代の数学の知識を呼び起こして
虚数」は2乗するとマイナスになる数、と思い当たった。
そんなへんなありえへんような数が「空間」で
「時間」みたいな得体の知れんものが実数だなんて
なんだか、変なような気がした。
でも、縦軸に時間を、横軸に空間をとったマトリックスを示されて
なるほど、と思った。
つまり、この図では「真横」に移動することができないのだ。
ある瞬間に、空間を移動することができないのだ。
逆に、ある空間に静止したまま時間を進むことは可能だ。
ははあ
と感覚的に納得した。


時間の中にしか移動し得ない空間、空間を作っている時間。
ここでは何一つ「静止」することがない。
人がいて、ものがあって、時間が流れている。
そこに、湯船に浸かるようにとっぷり浸かっている自分を発見する。
ばたばたと仕事をしたり移動したりしている時、
「自分」の感覚はどこかに消えている。
それが、安心できる部屋とか、気心の知れている椅子とかに落ち着くと
不意に浮かび上がってきて、頭の中に自分の手応えが満ちる。
温度を感じ、感触を感じ、匂いを感じることが可能になる。
空気があって、呼吸している。
鼓動していて、血液が体温をたもつ。
心の中に生起する幾人かの人の身体もまた、そのようになっている。
その感覚が五感を通してよみがえる。記憶の中に。


こうした「場」を創りだし運営することが
Yさんの「仕事」のひとつとなったのだった。
Yさんがこの「仕事」のなかで生みだし、担っているのは
この時間と空間を絶やさないことだ。
暖炉の火を守るように、
灯台のあかりを守るように、
それを守っている。
あるいは、庭に植えた植物が常に生き生きとそこに生活できるように
つねにそこに育まれるように、やしなっている。
これが、Yさんがごく自然に担うことになった「仕事」だ。


この先お店を大きくしようとか、そういう事業欲はないんです、
とYさんは言った。
最終的にどうなるんだろうとか、
こういうことをしてどうなるんだろうとか、
そういうことをしょっちゅう思うし、
自己満足かなとも思います、
昼間の仕事もあるから、身体もキツイです。
でも、
来てくれる人がいてくれて、必要とされている、と思うと
やるしかないかな、と思うんです。
「7回目でやっと開きました」と言ってくれる人もあります。
お店のドアには窓がなくて中が見えないので、
一応、開いてる時は「OPEN」とちゃんと書いてるんですけど
閉まってるときでもドアを押してみる方がいらっしゃるんです。
空ける時間が遅いので、早すぎて空振りをするお客さんもいて、
何度か来てみて、やっと入れました、と言ってくださったりするんです。
そう話しているYさんの表情は、
嬉しそうで、でも、自然で、力強かった。
「自信」というものを目で見るとしたら、
こういう表情のことを言うんだろうと思った。
力こぶしや張りつめた表情じゃなくて、
自然な嬉しい気分と、それを続けているどっしりした手応えと
多分明日もやれるだろう、という気負いのない予測だった。
それは、「必要としてくれる人」の気持ちを
そのままに受け止めて逃げない人の表情なのだ、と思った。


結婚生活がすべてだった頃は、
とても苦しかった、多分、ムリをしていたのだと思います。
今は、この先どうなるかわからないし、
一生フィックスしない感じかもしれない、
でも、
こういうふうになりたい、
と思うことができるようになりたい、と思います。
Yさんはそういうふうに言った。


Yさんは結婚によって、「家庭」という場を創造しようとした。
でも、それは最終的に、様々な事情があって、かなわなかった。
思うに、そこには既にある形をなした場が
他の人々の関係や歴史によって形成されていたのだろう。
その中に入って、自分の場を獲得したり育てたりすることは
Yさんのやっていきたいこととは、少しずれていたのかもしれない。
Yさんは、「すべてだった」結婚生活という「場」をリリースして、
ひとりぼっちになり
そこから、ひとつの新しい「場」を創造した。
創造する、というとなんだか大仰なようだけれど、
場というのはそれが家庭だろうが学校だろうが会社だろうが
やっぱり誰かの手で創造され、守られ、養われなければ
そこにあることがかなわないものなのだ。
空間と時間の掛け合わせで「場」ができていて、
人はそこに集まる。
人が「場」に対して持っているニーズは
多分個々人が意識するよりも遙かに根深く強いものなのだろう。
誰かにいじめられたり無視されたりすると
自分がいる「場」が崩れ去る。
場が崩れ去った時、人は消えてなくなりたいと思うほど、苦しむ。


私は去年、西荻窪に部屋を借りて
西荻インタビュールーム」として、
1年ほど、個人占いをやった。
どのくらい続けるかは決めていなかったのだが
結果として、1年で撤収した。
私もまた、Yさんと同じように、
自然にあの場を創出したのだったが
それを育み続けることは、できなかった。
「場」を担って守り続けることの難しさや楽しさを
私も少しだけ、そこで体験した。
「場」はまさに生き物のようで、
手間もお金もかかる一方で、思いがけないことが起こって
私に喜びややりがいをあたえてくれたりした。
そして、そこに来てくださった方々に、



と、ここまで書いて、私の手が止まった。


Yさんは「きてくれる方がいて、必要とされていて」と言った。
そのことを思い返して、自分のメモの汚い文字を見返した。
何度か見返して、
今の私はまだ、そこにたどりつけないのがわかった。
私はもし、誰かが私の創る場を必要としていると言ってくれたとしても
それに対して、Yさんのように「ひきうける」ことができないのだ。
私を必要としていると語るその言葉が受け取れない。
そこに来てくださるその気持ちに、さわれない。
なぜだかわからないけれど、少なくとも今はまだ、そうなのだ。
このことはインタビューの最初から、ずっと私のさまよいあるきの中心にある。
そこにあるのがわかっているけど
周りをぐるぐる回って、近寄れないのだ。
ただそれに触れそうになっては
危うく、熱いものに触ったように手を引っ込める。
そしてそれを持っている人の横顔に見とれて、呆然とため息をつく。




いつものように、Yさんに
「なんでもいいので、今お手持ちのものの写真を1枚、撮らせて下さい」
とお願いした。
すると、Yさんはすぐに、鞄の中からこれを出して下さった。




この紐は、靴ひもなのだった。
100円ショップで買ったのだそうだ。
お店では壁の釘にかけておいて、帰りに、首にぶら下げて帰るんです。
なくさなくてすごく便利です、と笑った。

「我思う、ゆえに我在り」
このデカルトの言葉を、スピノザ
「我は思惟しつつ存在する」
と言い直した。
身体と頭はひとつのもので、そこには断絶はない。
私という、肉と思惟のひとまとまりが
深く腰を下ろして「いる」ことを許される場所を
生きているウチに、一体いくつ得られるだろう。
それら、生起しまた新たに再生する「場」の数々は
すべてその「場」を生み出す誰かの手に寄っていて
私に限らずあらゆる人々がそれらの「場」を、
自分で思うより遙かに根深く、「必要として」いるのだ。


必要とし、必要とされる。
この言葉は、仕事の場でも、愛について語る場でも
常に中心的な思いとして使われる。


必要とする、とは、いったい、どういうことなんだろう。




        • -

この「interview」シリーズについては、こちら。
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20071113