石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

2nd-Sさん


「星占いをしないでお話を聞いてなにか書く」
というとらまえどころのない企画。
最初のインタビューは前述の通り、失敗に終わった。
そして数日後、2度目のインタビューを試みた。



午前中に東海道線に乗り、三島まで出かけた。
駅前で待ち合わせたSさんは、35歳の男性だ。
敏捷でやわらかな筋肉を感じさせる方で、
目のひかりの強い、いわゆる超がつくオトコマエであった。
学生時代、山盛りバレンタインチョコレートだったろうと確信した(未確認だが)。
わたくしのような文系不細工乙女OGには、相当まぶしい感じだったので
上がり症に輪がかかり、どうしよう、とまごついたのだが、
Sさんは自然に私のおちつき場所を
「ここね」とイスを決めるみたいに暗黙のうちに決めて下さって、
私はそこにいればいいのだ、と、自然にわかった。
Sさんは、もともと高校教師をしていらしたが、
脱サラして懐石料理の店に弟子入りし、
3年の修行の後、いくつかの小道を抜けてからそば屋を開店されたのだ。
なるほど、先生だったのか。
上記、絶妙の距離感に、さくっと納得がいった。
お話は、興味深いエピソードが特盛りつゆだくで、
お願いしていた2時間を軽くオーバーしてしまった。




Sさんが高校教師を辞めて懐石料理屋さんに修行に入ったのは、28歳のときだった。
これは、料理人の修行をするには「10年遅い」。
フツウは高卒ですぐ弟子入りするものなのだ。
さらに、弟子入りの面接で、お店の親方は、
料理人として形になるには「5年は必要」と言った。
でも、Sさんは、修行は3年、と心に決めていた。


この「心に決めていた」がおもしろかった。
なぜなら、Sさんは「心に決めていた」とおりにしたからだ。
それだけならなんてことないのだが、その「3年後」の状況が問題だった。
2年が経ってしばらくして、親方が脳梗塞で倒れたのだ。
他に兄弟子もいない時期で、Sさんはいきなり親方の代理を勤めることになった。
それまでも人手不足でスパルタに近い修行を強いられていたけれど、
これはきつかったらしい。
煮物を作って親方の入院している病院まで走り、味を見てもらってOKをもらう、
などというドタバタの状態だった。
応急的な処置で症状が回復すると、親方は一度退院し、店に戻った。
けれども根治したわけではなかったので、
改めて、大きな病院できちんと手術をすることになった。
手術をするとなると、また数ヶ月かかる。
この間、親方は、そのころ戻ってきていた兄弟子とSさんの2人に
店を任せるつもりだったのだろう。
だが、この時期はちょうど、Sさんにとっての「修行は3年」の年限にあたっていた。


Sさんは悩んだ。
お世話になった親方が病気で、兄弟子がいるとはいえ、
Sさんなしでは、お店は相当厳しい状況になるのは、解っていた。
フツウに考えたら、落ち着くまで店にいるのがスジだろう。
けれども、どうしてもこれ以上続けることはできない、と思った。
親方が退院してきた時、Sさんに言った言葉が引導だった。
「間に合ってよかった」
つまり、親方のいない店を切り回すことができるほどに
Sさんが修行を積みおえていてよかった、という意味だった。
もっと早い時期に倒れていたら、
休業せざるを得なかったかもしれなかった、ということだろう。
つまり、料理人としてある程度形になったということなのだ、とSさんは思った。
そして同時に、ここまできて、
料理人の修行は3年でも5年でもなく、一生かかるのだ、ということがわかっていた。
「自信と不安が双方向に同時に去来した感じ」とSさんは言った。
人よりも遅いスタートと、自分で決めた短い年限の分、
それまでのSさんには、焦りがあった。
でも、一通りの形になったということと、これからもずっと修行は続くのだということ、
この2つが腑に落ちた時、
これまでのムリな状況に際してSさんを支えてきた強いモチベーションが
がっくり落ちてしまったのだ。
5年は必要といわれたところを必死に3年で修めようとし、
さらに、親方不在という大きな山を乗り越えきったところで、
「タイミング」が来てしまった。


Sさんは、お店をやめることに決めた。
親方に辞意を伝えに行くと、当然、親方は怒った。
やめたい時期まではまだしばらく時間があったのだが、
「そんなつもりならもう明日から来なくていい」と激昂された。
これを真に受けて、Sさんはその日を限りにお店をやめてしまった。


こんな顛末なら、親方とSさんの関係修復は不可能のように思える。
でも、Sさんは違った。
親方が手術のため入院した病院に、Sさんはお見舞いに行ったのだ。
そこで謝罪をし、そんなに立ち入った話はしなかったけれど、
職人同士、お互いに通じ合うものがあった、解り合えたと思う、とSさんは言った。
このあと、親方は回復せずに、40代の若さで亡くなったのだそうだ。
危篤の報をうけたときはもう意識がなく、そのお見舞いが最後の対話となった。


お通夜の日にもお店の予約は入っていたので、弟子達が集まってお店を手伝った。
そのとき、Sさんは他の兄弟子達のやり方を見て、あることに気づいた。
料理屋には様々なカラーがあって、技術も千差万別なのだ。
だから、あるお店で修行をするとその店のやり方が身に付く。
一人でやっている場合も、自己流になっていく。
親方の弟子は、みんな、どこかほかの店から移ってきたり、他の店に移ったりしていて、
亡くなった親方の技術をそのままの形で受け継いでいるのは、
Sさんだけだったのだ。
それに気づいて、泣けて、告別式に出られないほど涙が止まらなかった、
とSさんは言った。


Sさんのお話の中には何度か、
誰かの期待や、誰かとの約束を、どうしようもなく裏切らざるを得ない、
という場面が出てきた。
でも、その相手については「今でもお世話になってます」というのだ。
私だったらそんなの、絶対に二度と相手に会えない、と思うようなシビアな状況でも、
Sさんはあとで、会いに行くのだ。
それで、そのあともずっと、関わっていく。
そのことが次のステップに進む時に、力になったり、きっかけになったりする。
怖くないのかなあ、どうして行けるのだろう、と、私は不思議で仕方がなかった。
「そんなのはありえない」と思いこんでいたものが、
「ある」場面をありありと見せつけられた気がして、動揺した。
自分の意志と周囲の期待や思いが食い違う時、
Sさんは悩むんだけれど、基本的には自分の意志に忠実だった。
でも、そこでは、関わる人々を「切り捨て」てはいない。
私にはそういう経験がほとんどないので、
それがどういう感触なのか、わからなかった。
Sさんは、最後のほうで、「僕は人に捨てられないんです」と言った。
それは、Sさんのほうが、人を捨ててないんだと思う、と私は思って、そう言ってみた。


行った行為と、それを行った「人」とが、
もしかしたら、頭の中で切り離して置かれているのかもしれない、と
後で考えてみた。
「罪を憎んで人を憎まず」
という言葉があるけれど、あれと似ている。
よく
「男は別れた女のことをいつまでも未練がましく思い出すけど、
 女はあっさり忘れてしまう」
と言われるけど、これもなんとなく結びつく。
要は、ひっかきあいのケンカをしても、どんなに嫌なことがあっても、
時間がたつと「相手の行為」や「起こった出来事」はだんだん記憶の中でうすれていき、
「その人」だけが記憶として残るのかもしれない。
出来事ではなく、存在が心に残るのかもしれない。
もしそうだとしたら、確かに、時間が経てばまた、会いに行ける。
私は、自分の心の中にいる、もう立ち去ってしまった人の幾人かを想起して
その人達から「起こった出来事」を切り離してみた。
すると、その人達は一様に、穏やかで、少ししょんぼりして、
弱くて明るい様子になった。
話しかけることができそうな気がした。
もちろん、これは私の勝手な想像で、べつにそれがどう、というわけじゃないんだけど。


Sさんの選択については、
多分、この話を聞いた人によって、感想は様々だろうと思う。
自分にはそんな真似はできない、と思う人もいるだろうし、
深く共感する人もいるだろう。
その場にいなければ、本人でなければ、絶対にわかり得ないこともたくさんある。
だれもがそういう「現場」で、自分のこととして選択を続けている。
さらに、「もう一方の選択肢を試してみる」ことは
誰にも、絶対に、できない。
だからその選択の「是非」は、だれにも、決して、判らない。
だけど、私は「自分の意志に最終的には忠実である」ことは
基本的に最善の策だと思っている。
たとえそれがどんなに「状況」に逆らうように見えたとしても、
「ほんとにやりたくないこと」をやっていい結果が出ることは、多分
ありえないだろうと私は思っている。
でも、現実の中では、
「ほんとうはやりたくないことを、周囲のために選び取る」ことが
往々にして行われている。
ある種類の犯罪は、そのような環境を土壌にして生まれている。
賞味期限の書き換えとか、牛肉に他の肉を混ぜるとか、
多分、現場の人は「そんなことはしたくない」はずなのだ。
そしてそこで「みんなのために」「自分を守るために」選ばれた選択肢が
後でもっと大きな問題を引き起こしたりする。
自分の意志に忠実であることは、おそろしいことだ。
でも同時に、多分、正しいことでもある。
どちらが安全でどちらが危険、ということはないだろう。
あとで傷つくかもしれないリスクは、
自分の意志と周囲の期待のどちらを選ぼうが、
多分、大して変わらないのだ。


Sさんにお話を伺ったのは、お休みのお店の中だった。
私は、インタビューの時にはひとつ、皆さんにお願いしようと決めていたことがあり、
Sさんにもそれをお願いした。
それは、何でもイイからそのとき持っているものの写真をとらせてください、
ということだった。
Sさんは、じゃあ、この壁、と、お店の壁を指さした。


このお店は元々スナックだったのだ。
三島は東海道の宿場町として栄えた場所で、もともとこのあたりは遊郭だった。
ご多分に漏れず、そこは時代が下って歓楽街に姿を変え、今、地方都市なりに縮小が進んでいる。高齢化しているらしいです、71歳のママがいたりね、とSさんが教えてくれた。
昔はみんな若かったのだ。若くて綺麗で、華やかだったのだ。
未来がどうなるかなんて、誰も気にしていなかったのだ。
昨日と同じ今日が来て、今日と同じ明日を迎えているあいだに、
いつのまにか、71歳になってしまったのだろう。
そのおばあさんの気の遠くなるような「日常」が思われた。


お店の一番奥に位置するこのレンガの壁面は、
職人さんがきちんと積み上げたもので、今はこんなのにはなかなかお目にかかれない。
この壁が決め手となって、Sさんはここにお店を開いたのだった。
この壁は、ずっとスナックの壁で、ここでただカラオケを聞いていただけじゃなくて、
男と女の酸いも甘いも、みたいな、たくさんの場面を、
ずっと見つめてきたはずなんです、とSさんは言った。
私はその壁に触った。
固くて、ざらっとしていて、でも少しあったかいような気がした。
この壁の前で繰り広げられた、たくさんの物語のシーンを想像した。
女の人が泣いていたり、誰かが怒っていたり、グラスが割れたり、
誰もいないお店の中で誰かがギターを弾いたりしていたのだろう。
明け方、ママが扉を開けると、外の光と一緒にネコが帰ってきたのを見ただろう。


帰り際に見せて頂いたお店の前庭には、山野草が植わっていた。
秋だから、しっとりと静かな感じだったけれど、春にはスミレや小さな花も咲くのだろう。雑草はちゃんと根っこから抜かないとダメだよ、とかお客さんに言われるんです、と、Sさんは笑った。

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Sさんに伺ったお話の中では
絶対書きたいネタが少なくとももう2つ、ある。
また後日、書いちゃうと思う。