石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

前置き・その2


最初のインタビューから作った原稿は、
そのときの会見をできるだけ詳細に、具体的に書いたものだった。
私の受けた印象や記憶、その方の言葉を
一生懸命思い起こすみたいな感覚で書いていった。
そこで、考えたことや感じたことを交えていった。


だが、このやりかたにはいくつかの問題があるような気もした。
まず、長くなりすぎる。
たった2時間のお話でも、原稿に起こしていくと原稿用紙数十枚の分量になる。
これは読む方も大変だし、私の今の「とにかくやる」という趣旨から
ちょっとはずれてしまう。
それに、多分こういう経験は今だけじゃなくて、この先書くモノにも幾度も、
ぴんとひらめいてご登場頂くことがあるだろう。
今、「あらいざらい全部」を出し切ってしまう必要はない。


さらに。
星占いの現場では
「この人はどんな人なのか」「この人の悩みや人生はどういう構造なのか」
を考えていくことになる。
このクセみたいなものが私の身体にしみついてしまってるのが、
やってみてよくわかった。
判断したり、きめつけたり、を、無意識にやろうとするのである。
占いの現場は、あざとい快感に満ちている。
「貴方はこんな人ですね」なんて言って、
依頼者様が「心当たりがある」といったら
さもありなんと偉そうな顔をして、何もかも見抜いてるみたいな風情ができる。
占いという虎の威を借って、
さも相手のことをよくわかっていて未来も解るみたいな
そんな権力を振り回し、誇示し、
相手を屈服させることができることさえあるのだ。


悩み苦しみ、自分に自信をなくした状態で訪れる方にとって、
何もかも見抜いているような、
さらには「星」などという神秘的なものを振りかざしているような相手は、強く見える。
何もかも知っているように見える。
でもほんとはそんなわけはない。
私の占いの部屋に来てくださった方の中には、
他の占い師にそういう目に遭わされて
強い恐怖を感じたり、絶望を感じたりしている方も、けっこういらっしゃった。
事故に遭うとか、何をしてもうまくいかない時期だとか、
そんな理不尽なことを言われても、
悩みに疲れ果てている時はだれだって、その占い師とケンカなんかできないのだ。
占いというワケのわからないものののワケのわからなさを振りかざして、
何でも知っているようなフリをして、相手を決めつけたり、因果をこじつけたりする。
この権力を振り回すことは、とてもキモチがいいのだ。
自分が偉くなったような気がしたり、人格者になったような気がしたりするのだ。
だから、そのキモチヨサに自分が飲み込まれないように
なんども「ちがうぞ」と言い聞かせなきゃいけないのだった。


だが。
そんな「占いのワナ」に気づいていても、
やっぱり、毛穴からしみこむように、快感を伴う「悪い癖」はしみこんでしまう。
最初の原稿がNGになった基本的な理由、それは私のこの「傲慢さ」にあるのだろう。
占いでついてしまった寝癖のように、
私のコミュニケーションに傲慢さが染みついてしまったのだ。
彼女とお会いした2日後、行きつけのバーでお酒を飲んでいたら、
隣の席の女性と会話になった。
彼女は50がらみの独身の女性で、
話からすると、長年、秘書の仕事をしているらしかった。
しばらく話をして、私は手洗いに立ち、戻ってくると、
ふいに、こんなことを何度も何度も言った。
「貴方、ソンしてるわ、人を見下しているもの」
からまれたなあとおもったが、
内心、原稿が没になった原因がそのあたりかなと思ったので、少々へこんだ。
お互いに酔っぱらっていたし、誤解もあったと思う。
私が本当に彼女を見下していたかどうか、私にはよくわからない。
少なくとも、私にはそんなつもりはまったくなかった。


ただ、私は少し、彼女の気持ちにコミットしようとしてしまった気がする。
要するに、感情の中に、なにか硬直して肩凝りしたような部分を見つけてしまって、
それをほぐしてあげたいなんて思ってしまったのだ。
でもそんなの、彼女は望んでいなかったわけだし、
そもそも私の勘違いだったかもしれないわけで、大きなお世話だったのだ。
占いの場では、それを求めて来られる方もいるし、
そういう部分を自分で探したいと思っている方もある。
そういう場合は、私も勘違いの危険を冒しながらも、
一生懸命コミットしようとしても、悪いことはないかもしれない。
でも、そのときはそうじゃなかった。
私がもし、この寝癖のような傲慢さを持ってなかったら、
彼女は不要な怒りを感じずに済んだかもしれないのだ。
出来事は些細なことで、
彼女が帰った後、マスターも「気にすることないよ」って言ってくれたけど、
なんとなく韻を踏んでいて、忘れちゃダメだな、と思った。苦いお酒だった。


この2つのできごとと前後して、もうひとつ、
同じような問題を指し示すことが起こっていた。
知人とのやりとりのなかで、私は強い怒りを感じて
それをそのまま剥き出しにぶつけてしまったのだが、
相手のリアリティは私のそれと全然違っていたから、
まるっきり解り合えないまま断絶状態になってしまったのだ。
このことも多分、相手にとっては些細なことだったかもしれないけど
同じ線上にある話だなあとおもった。
私が正しい、と思いこまなければ、剥き出しに怒りをぶつけたりできない。
誰だって個別に経緯を持ち、バックグラウンドがあり、事情があってリアリティがある。
それを全て知ることなど到底できないけど、
それを知る努力をつくした上で、さらに、相手の気持ちに届くように頑張って、
その上で思いを伝えるのが、「相手を大切にする」という行為だ。
いきなり怒りをぶつけた私は、完全に傲慢だった。
思い直して反省して、謝罪の手紙を書いたけど、返事が来るわけもなかった。


週があけて、私は電車に乗り、三島まで出かけていった。
2人目の協力者様である、Sさんに会うためだった。
Sさんはお蕎麦屋さんを経営されていて、お店は三島にあった。
貴重なお休みの時間を頂いたのだった。


Sさんとお会いした後、
私は最初の方の時と同じように、詳細な原稿に着手した。
でも、書きすすめるにつれ、なんだかちがうかも、と思いはじめた。
少しやり方を変えてみよう、と思った。
そして、この稿を白紙に戻した。

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http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20071113/p1