石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

amazing-grace

「大地を叩く女」
http://www.netmovie-fes.jp/2007/jpn/scholorship/index.html



これは自慢なんだけど
GRACEさんとかわいしのぶさんに
私はお目にかかったことがあるのだ。
お二人とも、とても印象的な方々で
一度しかお会いしたことがないのに
すぐに思い出せる。




タイプはぜんぜんちがうけど、おふたりとも、
明るくユーモアにあふれてブラックもあり、いかにも磊落としながら
ガラスと鉛と洞穴とコスモスを
からだのなかに仕組みとして組み込んでいる、という印象の女性だった。
身体を張ってかちえた体験の地層が幾重にも重なって、その厚みが輝きに昇華していた。
お会いしたのはほんとにちょっとの時間で
お話ししたのだって、ほんとにほんのすこしだったんだけど
でも、そういうふうに
ぐぐっと印象に残った。


この作品は、はっきり言って、セリフが悪い。
セリフ回しとかそういうことじゃなく、
語られるべきじゃないセリフが多い、という気がするのだ。
肝心なところで全然言わなくていいことばかり言わされてしまっている。最初からそうだ。
多分、セリフなんか無くてもまったく困らないくらい、心をうごかすようにつくられている。
日本語を知らない外国人が見た方が、意味がわかるだろうとおもうくらいだ。
「愛」も「好き」も、いらない。
ラスト、「なんで?なんで?」って叫ぶ、
そこでとめておいていいのだ。そのあとはいらない。
それだけでじゅうぶん以上で、そのあとのせりふは味消しになってしまっている。
それをといたければといたいほど、その言葉はもう要らない。
根元的かつ救いがたい弱さと渇きに引きずられてぐちゃぐちゃにからまってしまった、
持ち重りのする「関係」と「存在」の曖昧な境界線群がそこにはあって
それをもてあましたりうけとめたりなげだしたりなぐりつけたりしている人たちのありかたは
到底、こういう日常の中にある「言葉」では表現し得ないのだ。
だからこういう日常の中にある言葉だけしか使っちゃいけない。
それ以外のことは映像とプロットと役者が全部やってくれる。
そういう意味で、セリフが悪い。


だけど、その言わんとするところは多分
制作者のほりさげたところよりももっとむこうがわまでつながっていて
それがなによりもとおくつらく、すばらしくかがやくものとしてうたわれている。
胸が掴まれて、涙が流れ出す前に止まる。
涙腺よりももっと下、腹の下の丹田の奥にかたまるアメーバ状の感情が
サンショウウオみたいにゆっくりとうごいて、呼吸を止めて、びりびりふるえる。
こんなふうに「腹の底が熱くなって、泣けない」映画のほうが私は
心を動かされる意味があるはずだとおもう。
架空の悲しみを疑似体験してカタルシスをえるんじゃない。
素手で掴まされて飲み込む、ここにあるものを触らされる、
だれだってこうなるのだ、それはひとごとではない。



ステージ中央でドラムを叩く、鳥肌が立つくらいうつくしいGRACEさんの姿は
物語全体を光源として映し出される結晶のような核だ。


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このエントリをmixiにもコピーして掲載したら
これが「むりやりハッピーエンド」だというコメントを頂いた。
で、以下、それへの私の返信。


 いや、これハッピーエンドじゃないとおもうのです。
 無間地獄のサッドエンドじゃないかな。まったく救えないハナシだと思う。
 彼は彼女を殴り続け、彼女もたまに殴り返しながらどちらかが崩壊するまで続けて
 どっちかが崩壊したらどっちかも地に落ちるか、あるいは、覚醒するんだと思う。
 そしたら片翼のハッピーエンドかなあ・・
 最後、あの男が殴り続けることができる理由がべろっと見えてしまって、ぞっとしなきゃいけないんだけど
 確かに表現力的にちょっと曖昧だったかも。


 サッドエンドというか、ゲームで言うバッドエンドかなあ。
 でもゼロから始まってるワケじゃなくて
 バッドエンドをずっと映し出しているだけだと思う。

 バッドエンドの中にあるリズムと力、っていうことだとおもう。
 そっちに引きずり込むなにかは、人間にとっては、
 うつくしかったり薬だったり、あるいは、もうひとつの力の原動力だったりするんだと思う。