石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

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遠回りのように見える道が
実は一番の近道だったりする、ことがある。





恋をして破れて辛い気持ちの時
相手に何度も何度もメールを送ってしまう人がいる。
どうしても相手に戻ってきて欲しいと願う人がいる。
ここ7年くらいネットで占いをしているけど
つねに、そういう内容のメールは途絶えない。
幾多の方が
「あの人をかえして」
という悲鳴に充ちたメールを下さる。
男性からのも少なくない。
毎週、何通も何通も、そういうメールを受け取る。
このところ少し忙しくて、全てにレスポンスできないので、
ここでまとめて書いてみる。ごめんね。



嫌われたり、誤解されたり、見損なわれたり、相手の自分への思いが冷めてしまったりしたとき
人はすぐ、相手の頭の中にある自分の像を
消しゴムで消したり、美しく修正したりしたいと願う。
時にその気持ちにとりつかれて強迫的に焦って、
他のことが何も手につかなくなる。
怒らせた相手の気持ちをなだめなければ何をしていても虚しい感じがしたり
相手に自分のことを思い出してもらえなければ世界中が灰色のように思えたりする。
どうにかして自分をよく思ってもらおうと
どうにかして自分を大切に思わせたいと
思いのたけを投げつけるみたいに必死でメールをし、電話をし、アクセスしようとしてしまう。
謝罪の言葉を並べ立てて、反省と誓いと約束と自己否定を羅列した卑屈な手紙を送ってしまう。
そうでもしていないと苦しくて仕方がないのだ。
早くリカバリたい、相手の頭の中にいる自分の像をなんとかしてキレイにしたい、
その思いで、頭がいっぱいになる。



たくさんの人が「別れ」を受け入れられない。
それはあたりまえだ。
恋した相手を失うのは辛すぎることだ。
寂しさや、プライドの傷や、孤独や恥ずかしさ、
チーズのようにぽこぽこ穴が開いてスカスカになった心を
どうすればいいかわからなくてなんでもいいから泣きつきたくなる。
「占いなんか」に頼りたくなる。
きっと彼は戻ってきますよ、と言ってほしくて
待っていれば帰ってきますよ、と言ってほしくて
メールを思い切って送ってみたらいい返事が来ますよ、と言ってほしくて
身もだえするような気持ち。


その気持ちはよくわかる。
なにをかくそう私だって恋に破れたことは幾度もある。
苦しみから一刻も早く解放されたくて、その人に何とかしてもらいたくて
この喪失はウソだよって、
誰かに保証して欲しいんだ。



だれだって、自分が愛した人には愛されたい。
それはあたりまえだ。
でも、残念ながらそうはいかないこともある。
そしたらそれを受け止めるのが、自分が相手にしてあげられる、ベストのことだ。
相手のためにどんな苦労でもしよう、何でもしてあげたい、とおもったのだったら
相手の真実や相手の本音は
どんなに苦痛を感じても、そのまま受け止めて守るしかない。
自分にとって嬉しい本音でも、嬉しくない本音でも、その両方が混じっていたとしても
それを受け止めることが「相手のために出来ること」だ。
嬉しくない本音が出てきたとき
「そんなはずはない!」
と、大吉が出るまで何回もおみくじを引き続けるみたいにメールを出し続けるのは
相手の本音を受け止めたことには、ならない。
そうしちゃう気持ちはよくわかる。
でも、それは、相手の心に触れない。
悲しいけど、そういうやり方では、さわれない。



離れてしまった相手の気持ちを受け止めるのは至難の業だ。
どんな人格者でもこの恋の喪失に気楽に耐えられるなんてことはない。
強かろうが弱かろうが痛いのは痛い。
誰だってある程度の年齢になれば、その痛みの経験があるはずだ。
もちろん、それがないひともいるだろうけど。



遠く見える道の方がほんとは近道なのだ。
失恋したときは一瞬一瞬が苦しいけれど
次の一瞬だけとりあえず持ちこたえたら
その後の一瞬は、一瞬後の自分がなんとかしてくれるだろう。
相手にとって自分が何の意味も持ってないと知るのは辛い。
辛いけれども
それが相手の気持ちなんだ。


相手を鏡にして自分のことばかり見ていると
相手の実像も、自分の実像も、全く見えなくなってしまう。
相手が自分をどう思っているか、とそればかり探していると
相手のことも自分のこともわからなくなる。
でも
相手の頭の中にある自分の像に気を取られるのをやめることができれば
ありのままの相手と、ありのままの自分を
同時に見ることができるようになる。



今1000の言葉を重ねて弁解するより
黙って自分を変えていくほうが、ほんとは、
ずっと早く、相手の中にある自分の像を変えることになる。


もしかしたら、もう一通「本当のメール」を出したら、彼は戻ってきてくれるんじゃないかしら。
失恋したばかりの女性はその「もしかしたら」を心に描く。
この気持ちはもう、どうしようもなくしかたがないのだ。
どうしたってそういうふうに期待してしまうのだ。
この思いに自分で耐えて闘っていかなきゃいけないなんて、
生きてるとはなんと苦しいことだろう。
でも
多くの人がこの苦しみを味わって
それで、いつのまにか、乗り越えていく。



一見遠回りのように見えた道は、歩き出してみればそれほど遠回りじゃない。
歩き出すっていうのはつまり
「自分のここをなおしてからじゃなきゃ、相手に合わせる顔がない」
と思える、ということなんだろうとおもう。
あるいは、
スキになったそのこと自体が
なにかの誤解だったという場合もあるだろう。
自分の弱さの補填だったり、自分へのゴマカシだったりする場合もある。


終わった恋にはたくさんの「カギ」が隠されている。
そのカギをみつけるほうがだいじなことだ。
相手が今すぐやさしいメールをくれる以外の方法では、この苦痛は絶対に片づかない
と思っているとき
その人は「道」に背を向けている。
しばらくはそうでもしかたがない。
でもだんだんに、進めるようになる。



「彼ともう一度会うにはどうしたら?!」というメールを読むと
その人の今の辛さや苦しさを思って、胸がいたい。
苦しみのあまり逆効果のことばかりしてしまっている人を見ると
その人の所まで走っていって羽交い締めにおしとどめたい気がする。
大きな声で「ちょっとまって!」と引き留めたくなる。
どうか、大きく深呼吸して安心してほしいんだ。
未来に「イイコト」はちゃんとある。
それは今の貴方が頭にものすごくリアルに描いているその期待通りじゃないかもしれない。
でも、また胸が大きく膨らむような喜びや誇らしさを、
必ず感じることができる。


だから、そのためにこそ
「道」から目を背けてはいけない。
今すぐ苦痛から自由になることは不可能、それは当然だ。
でも、そんなに苦しいままでも、
自分の手と眼と耳と心で「道」をみつけることはできる。
そんなにも苦しいままでも
なんとか歩き出すことができる。
大丈夫なんだ。



本当に弱い人というのは、
喪失の体験を乗り越えたことがない人なんです
と、あるお医者さんが話していた。
何か大切なものを失った体験と、それを乗り越えた体験をしたことがない人は
年齢が上がって、ひとたびそういうことがあったとき
いとも簡単に崩れ落ちてしまうのです、と。