石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

「3月のライオン」。

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羽海野チカさんの新連載がはじまった。
電車の中吊りでばーんとどでっかい広告を見て
お!!
とちいさく叫んでしまった(恥




羽海野さんには1度だけお目にかかったことがある。
いろいろお話をうかがって、あれこれとても印象的だったのだが
中吊りを見て、ああ、やっぱりクリエイターってこうだよなあ、と思った。
あのときにお話ししたいろんなことを思いだした。


ものを作る人は、どうしたって「自分」がそこに入ってしまう。
靴下を裏返すみたいに自分を書いていくしかない。
フィクションでもそうなのだ。
設定や具体的事物は架空でも
そこに描かれる人間のナカミはクリエイターそのものになるしかない。
でもそんなふうに自分の中にあるモノを外側に出してみんなに見せるなんて
ほんとに怖くて辛くて苦しくて仕方がないことだ。


10年くらい前、私もクリエイションの端くれみたいなことをしたことがあるけど
そのとき友人に
「おまえ、そんなふうに外に出しちゃうのって怖くないの?」
と聞かれたのを覚えている。
そのときは「人に見せる」ということの意味が全くわかっていなかったから
その問いかけの意味がわからなかった。
でも友人はそのとき、
私がその作品で靴下を裏返すみたいに全部さらけ出しちゃってることを見抜いていたので
それを外に出すことの恐ろしさが解っていたのだ。


人に褒められるならまだいい。
でも、けなされたり無視されたりする可能性もあるのだ。
「自分」をさらけ出してしまって、そこでけなされたり無視されたりするかもしれないなんて
おそろしいことだ。
さらにいえば、自分が出て行くとき
自分の知ってる自分ばかりが出て行くわけではない。
自分の期待するような自分がそこにいるわけではない。
自分が理想とするものよりも遙か下にいる自分を
なじったり否定したりおとしめたりしながら
形にならないモノを必死に形にしていくしかない。
それで、あげく、バカにされたり笑われたり石を投げられたりするかもしれないのだ。
時には、「それで傷つく人もいる」のだ。加害者になるかも知れないのだ。
孤独で、ばかみたいで、はずかしい。なんてこわいことだ。
でもそれをやるのが仕事、というひとがいる。
仕事というのは、自分で選べるようでいてそうではない。
社会と自分とが交わったところにできる、その交点に仕事ができる。
自分一人の意志や願望では決まらない。


クリエイターは文字通り自分の身を削って何かを作り出す。
「おつう」のように自分の羽を抜いて機を織っていくのがクリエイターだ。
ハチクロのはぐちゃんもおつうみたいだった。
羽海野さんのお姿を初めて眼にしたとき、「あ、はぐちゃんだ」と思った。
羽海野さんの名前に「羽」という文字が入ってるのが妙に心にかかるのは
作品からおつうみたいなものを感じたからかもしれなかった。


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というわけで
羽海野さん新連載おめでとうございます!!
頑張って下さい!!(って、見てないか(メール出せよ(小心