石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

七夕


7月7日は、七夕だ。



今年も掲示板に短冊スレッドが立った。(Mさん多謝!)
「掲示板の思い出」には、過去3年分を残してある。
今年のも、残すつもりだ。
みんな願い事はけっこうシンプルだけど
たぶん、たった一行でも
そのときの状況とか、具体的な願いとか、関係者の顔とかが詰め込まれていて
自分で見ると、そのときの気持ちがよみがえるんじゃないだろうか。




1年に一度、しか逢えないベガとアルタイル。
逢えない時間、お互いがお互いを忘れないために
彼らは天の川に隔てられながら
どんな工夫をしてるんだろう。
ウシを育てたり、機を織ったり、
彼らは時間がかかることになれているのだろう。
それぞれが仕事を持っていて
一生懸命それに励んでいて
そんな日々の中で特別に、年に1回。



お互いのことを思い出しながら、相手が自分を忘れないことを祈りながら、
そうやって働いてるんだろう。
楽しいことや嬉しいことは
仕事自体の中にも詰まっている。
書いている最中も、苦しいけど、楽しいタイミングはたくさんある。
そこにはよく知っている充足がある。
でも、外側のものとたまに出くわすと
そこでは、知らなかった楽しさや喜びが生まれる。
たとえば、一人で書き続けるのと、編集者さんやデザイナーさんと一緒に本を作るのはちがう。



「出会う」
ということには、
何が起こるか解らないスリルがある。
まだ何が起こるか決まっていない。
コラボレーションとか、そういうことって
「何が起こるか解らない」
というところに「やってみたい」キモがある。
今週の空模様で書いた「角度」のこととそれは似ている。
星同士が「逢った」とき、なにか印象的な変化や軌道修正が起こり、
そのあと、又星同士はそれぞれの軌道をすすんでいくけど
そこでは確実に、起こった出来事が流れを変えている。
今までとは違う、別の流れができている。



恩師がかつて
「物事は階段のように進む」
とはなしてくれた。
何も起こらない、ひとりでじっとすすみつづけるときと、
ぽん!といきなり段差ができて上にあがるときと、の
2つの時間があるのだ。
だらだらと坂のように、右肩上がりのナナメのスロープであがっていくのではない
のだ。


1年に1回、彼らが会うとき
たぶん、なにかの変化が起こってるんだろうと思う。
それはその先の一年を新しくするような「創造」なのだろうと思う。
子供が生まれることとも、それはちょっと似ている。
どんな子供ができるのか、
生まれて育ってみるまでは誰にも解らない。
自分一人では生み出せない。
出会って初めて、そこに出現する、予測不能のすばらしいなにか。
「逢う」
ことには、魔法みたいな力がある。
それは、自分以外の別の意志や思い、生き方が、自分に接触するからだ。
そこでは「何が起こるか解らない」。
だから人は願ったり祈ったりするのだろう。
みんなが短冊に願い事を書くのは
その「魔法」の正体を知っているからなんだろう。
「逢う」ということはどんな場合でも
特別な、奇跡みたいなことなんだ。
逢いたくても逢えないことのほうがほんとは、多い。
人は生きているほとんどの時間、孤独だ。




去年の七夕のころ、何気ないメールを受け取った。
私も、ごく軽い気持ちで返信した。
でもそれが「扉」だった。
少なくとも私にはそうだった。
そこからいろんな不思議なことが起こって
今、1年前とは違う私がいる。


「そのとき」は
なにがおこっているかなんかわからない。
1年前にはそこから何が起こるかなんか全然解らなかった。
もし過去に戻って、あのときの私に今の私の状態を教えても
1年前の私は、信じないだろう。
2年前ならもっと。




今、手元に、紙束がひとつある。
大きなクリップでとめられていて、文字が印刷されている。
これからこれをボールペンで真っ赤にしていくのだが
もし運命の神様がいるなら、その神様がくれたとしか思えないものをムダにしないよう
最善を尽くそう。



1年前のメールに「七夕なので」って書かれていたから
私はそれを何となく忘れない。
1年に一度のチャンスなら充分レアだけど
人生では一生に何度も起こらないようなことだって起こるのだ。