石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

象徴

赤毛のアン」は、シリーズもので
彼女の少女時代〜青春時代から
アンの娘の青春時代まで、お話がある。
私はこのシリーズがかなりスキで
相当読んだ。





このシリーズ中
アンがまだ未婚の頃、
グリンゲイブルズで、マリラの遠縁に当たる双子を引き取ることになる。
男の子・デイビーと女の子・ドーラの双子である。
デイビーは最悪の腕白で、ドーラはそのオトシマエのようにおとなしい、という設定。
アンは2人としばらく同居して素晴らしい感化を与えた後、
大学進学のため3人のいるグリンゲイブルズを離れる。


その後、大学生のアンに
小学生くらいの年頃のデイビーが、手紙を書くのだ。

その手紙の内容は
ばかばかしく面白い。


デイビーはアンをとても慕っている。
「ねえちゃん」と訳されているのが原文ではどんなのかわからないが
姉、恩師、母、などなどの
ない交ぜになったような存在が、彼にとっての「アンねえちゃん」だ。
彼の中で、彼女は揺るぎない尊敬と愛の体現者となっている。


なので、手紙の最後に、
デイビーは「キスマーク」をたくさんつける。
「x」が「キス」を意味するのだ。
自分からアンへのキスをたくさんつけたあとで
「ドーラからもひとつよこしました」といって、ひとつ足す。



ミッフィーの口みたいで
なんかリアル

へんな解釈をしていた。


最近、この「x」キスマークに
oというのもつけられる、というのを知った。
これは「ハグ」の意味なんだそうだ。


xoxo


これで
キスハグキスハグ
と読む。


手紙やメールは手紙やメールで
言葉でしか成り立たない。
でも、言葉では伝えられないことも、ある。
それを伝えるために、さらに
あたらしい記号や言葉を編み出してるだけみたいに見えるけど
でも
違うんだ。


象徴と記号は違うのだ。
記号は一対一の意味で辞書的にデコードできる。
でも象徴は、そうじゃない。
ロザリオのように、国旗のように、
象徴を取り扱うとき
それを取り扱う人の心は、その象徴が象徴する実体を取り扱うのとおなじ敬虔さに満ちている。


デイビーのつけたキスマークは
記号じゃなくて象徴なんだと私は思う。
象徴とは、記号や言葉とは違う。
象徴は、「それ自体と同値・等価のもの」。
ロザリオを握り締める人の気持ちと、交通標識を見る人の気持ちは違う。
交通標識に書かれたシカはただの記号だが
ロザリオは、それを踏んだり傷つけたりできない「象徴」だ。
xoxo、と書いたらそのまま
キスそのもの、ハグそのものが
通信にのっかっていくのだ。



「象徴」は面白い。
「記号」は意味と対応するけど
「象徴」はそうじゃない。
「象徴」はその中に、物語や世界を内蔵することができる。
私は時々思うんだけど
「象徴」とは、何かを意味したり指し示したりするんじゃなくて
それ以外のことをそぎ落としたときに残る世界、のことなんじゃないだろうか。
記号は、あるひとつのものを指さす。
でも象徴はたぶん
それに関係のないこと全てを暗闇に押しやり
その象徴にくみするもの「だけ」が詰め込まれた純粋な世界を聖別するんじゃないか、と
そんな空想に耽ることがある。


象徴は、「それそのもの」とおなじ威力を持つ。
そんなものを扱える人間の心が
私には不思議でならない。
コンピュータは言葉と記号は扱えるが
「象徴」は絶対に扱えない。
足し算の「プラス」の記号と、十字架のその威光とが
機械にはどうしたって見分けられない。
でもクリスチャンじゃなくたって
ロザリオを何の気持ちのとがめもなく踏みつけることは、たぶん、できない。


軽い気持ちで添えるキスマーク、
でも、そこには
それそのものが「のっかっちゃう」んだと
私は思っている。


時空をそんなふうに
人間は越えてしまうことができるのだ。