石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

散歩



雨上がり、朝の空。






ちょっと散歩に出たくなったので
カメラを持って、外に出た。
風が気持ちよかったので
できるだけ肌にあてたくて
タンクトップ一枚で出た。
乙女OGのあらわな二の腕に眉をひそめる輩もこの時間なら、まだいまい。


去年伊香保で入手したゴム草履を履いて出た。
鉄扇の花柄の鼻緒が気に入った。
でもその足の裏にあたる部分は、健康サンダルのように痛い。
修行モード。
これで一年歩けば
裸足でアスファルトも行けそうである。


マンションを出ると、典型的な住宅街を進む。
路地をいくつも曲がる。
このあたりは東京というかむしろ東京とか(都下)なので
たとえば覆面をされて車に乗せられてここで降ろされたのち
「ここは群馬です」と言いきられたなら
そうか
と納得できるような雰囲気を持っている(くどい
小さな畑が点在していて、キャベツやトウモロコシや、いろんなものがうわっている。


あじさいを撮りたいとおもって出たのだけれど
あじさいはたいてい、人の家に植えてある。
別に本体を強奪しようというのではないが
やはり、写真といえども「とる」行為なわけであって
自分が丹誠込めたものを他人にタダで「とられる」のは
嫌なものなのでは・・・と感じられ
あちこちが被写体の宝の山であるにもかかわらず
なかなか撮影に踏み切れない。
くそー・・くやしい。
どっちの料理ショーで負けたみたいな感じ(どんなだ


とあるアパートの角に、だいぶ道に乗りだして咲いているあじさいがあって
これなら大丈夫かも・・とおもい
勇気を出して撮影会を敢行した。
あわないピントを必死になって合わせようと苦闘していると
ふと
視線を感じた。
顔を上げると
その向かい側の小さな菜園で、おじいさんが直立に立ち、こちらを見つめている。


軽い敵意を感じたので
す、すいません
と言って、逃げた。


多分あれはアパートの大家さん、なのだろう。
失敗した。
もっと人気のないところでやるんだった(ちっ


・・・とかおもってはいけないのだった。
やっぱり、盗み撮り(?)はよくない。
ちゃんと挨拶して「とらせて下さい」と言えば
快く応じてくれるもんではなかろうか。
やはり自分が咲かせたあじさいを
他人が美しいと評価してくれるのは嬉しいものだろう。
庭に人が出ているところで
ちゃんと声をかけて確信犯として撮ればいいのだ。
いいのだ。


いいのだ。。・。が・・・


ゴーストタウンかなこの町
とちょっと怖くなるくらい
家々には人影かみあたらない。
洗ったように誰もいない。





何事にもあきらめのよい私は(根性無しとも言う)
簡単にあきらめた。


あじさいじゃなくたっていいやい
と思えば
世界には美しいものがたくさんある。




道ばたの花。




ちょっとジミだけど、なんとなく心惹かれる。
私は何を隠そう小花柄がスキなので(なんか文句あるかー
こういうのを見ると、バスケットにエプロンドレス、ギンガムチェックな気分になる(妄想


雨上がりで、水滴が太陽の光を受けてキラキラしていて、
問答無用にきれいだった。
どうしてこういう光景を人間が「美しい」と感じるのか、私には解らない。
遺伝子が自分で自分を残すために、こういう景色を「美しい」と思うように
セットしているだけなのだろうか。
だとするなら、この光景を「美しい」と感じることは
私の生命がながらえるために、何らかの必要性を持っているのかもしれない。
でもそれは、どういうわけなんだろう。


なにかをキレイだとかうつくしいとかおもうとき
いつもそれが、頭に浮かぶ。
人間でもそうだ。
この人が素敵だとか、憧れる、とか思うとき、
誰かを慕わしいと思うとき、
どうして、私はそう感じるのだろう。
守ってくれたり、食べものをくれたりするような人を大事に感じるならば、
遺伝子がやりそうなことだなあと思う。
でもそういう「機能」で人に惹かれることは、私はあまりない。
強い子孫を残すために、イイ遺伝子に巡り会おうとして
いろんな反応をしている、ただそれだけなんだろうか。
イイ人間になりたいと思うのは、イイ遺伝子を引き寄せるためだけなんだろうか。
そもそも、なんで「イイ遺伝子」を残したいのだろう。
自分にとってイイ遺伝子か悪い遺伝子かっていうのは、人によって違うのかな。
私はどんな遺伝子をイイ遺伝子だと思ってるんだろう。
というか、それは意識にのぼらないというわけなのか。


等々
不思議で仕方がない。
多分自分のなかに「そうなるしくみ」があるにちがいなくて
それは、私の命が私を生かそうとしている活動の中で
「理由」をもっている、はずなのだが。


合目的的なはずだ
と前提して考えることへの違和感が
ベースラインのように頭の中にずっと鳴っている。


自分で何をやってるんだか
自分にはほとんど解らないんだな。


このあいだ、佐野元春がインタビュー記事で


「僕は内面というものをそれほど信用していないんです。
人がどれだけ自分の内面を正確に読み取れるのか、懐疑的ですね。
だから、さみしいとか悲しいって歌ってるものに、あまりおもしろみを感じない。
エモーションが全面に出たものも、僕は関心がない」


と言っていた。


たしかに
言葉にしてみた瞬間に
それは自分の中にあるリアルなものとは違う
という違和感がうまれたり、することもよくある。




などなど
つれづれにあれこれ考えながら、自宅の近くまで戻ってきた。
そこでふと、あることに気がついた。



ウチのマンションの植栽に、あじさいがあるじゃないか!!!!(どーん





遠くに探しに行ったものが
人の家にあるとばかりうらやんでいたものが
ちゃんとこうやって
自分の足元にあるんだった。
なんて
メーテルリンク





そう思って足元を見ると
植栽の影に射し込んだ光をうけて、
水滴のかがやく緑の葉。



部屋に戻ると、うれしいメールが来ていた。
そのあと、空はかーんと晴れて
そして


・・・・


・・・おもむろにコーヒーを淹れ
家の中で仕事、なのだった。ふ。




おお・・・珍しく普通の日記だ(感動