石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!


朝日シリーズがいつの間にか
お花シリーズに・・・


デジタルマクロを
使いたいらしい(←単純





そうゆう切り替え時がある。
どこからともなくやってくる。


たまにどういう節目でもなく、ふと、そこから遡って1年前のことを思い出すのだが
1年前には今頃こうなってるなんて想像もしてなかった
と、いつも思う。


全く違うものを追いかけていたし
優先順位もぜんぜん違ってた。



いつだって想像よりずっといい、おおきな、強いものが来る。
イメージしたより深く根を張り、思いがけないダイナミズムを作り出す。




条件の集まり
という話をある坊様から聞いたとき
すごく納得がいくのだ。


その日ある人と会う約束をして、それがドタキャンされて、
しかたなくその流れでこの電車に乗って返ろうとして、この駅で乗り換えのために降りた、
そのホームで、
まるでそれを見ていたかのようにかかってくる電話がある。


全ての条件が集まったときにしか起こりえなかった「そのこと」。


偶然という言葉と必然という言葉は本来対義語だけど
でも
なんとなく、両方、とても両義的な言葉にも思える。


偶然そうなった、全くの偶然だよね!不思議!と叫ぶときは
そこに隠された意図があるように思うし
必然的にそうなったのだ、それは必然だったのだ、というときは、
やっぱり、一見偶然のように見えるけれどそうではない
という意味のように思える。
いずれにせよ「然り」なのだ。
「然り」は、そのようにあるという意味だけれど、同時に「肯んじる」感じがある。
「そうなってる」ことに無音の価値がくっついている。
そのようにあるのはそれだけでOKで、そうあるべきだったのであって
なんらかの意図に即しているように思えるのだ。


だから「自然」は、多くの場合、無批判に肯定される。
おのずとしかるだけなのに、善なるものでOKなのだ。
そのまま、ナチュラル。
それが「絶対的に善」。


私はそれはどうだか解らない。
「然る」ことが、「OK」なのかどうか、わからない。
然という文字は黙という文字によく似てる。


そこにはたぶん、いいもワルイもないのだ。
ただそれはそうあるだけで
ときに、それはそうなることになっているだけで
そして、それがどこにたどり着くのかは
行ってみなければわからないのであって
途中でとぎれてるのかもしれないし
一寸先はガケなのかもしれないし


でも
またあんなふうに不思議なタイミングが「自然に」合うとき
ああまだそれが紡がれている、という感触を感じる。



ふと、ピンポイントでそのスポットにひゅんっとあやまたず声が届くとき
ああ、まだその時間は止まってなかったんだって思う。