石井ゆかり@筋トレのブログです。
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リアリティ


毎日あれこれ悩んだり考えたりだけど
でもそういうのが
フツウなんだろうなと思う。




何も思い悩むことがない日々って
多分
手応えがない、空疎な日々なのかもしれない。


苦しいこと、面倒なこと、諍い、心配、プレッシャー、ストレス、孤独感。
そういうのは「手応え」なんだ。
スポーツが苦しいけど楽しいのに似てる。
あんなにツライのに何キロも走るのは
ランナーズ・ハイのせいだと言われてるけど
それだけじゃないんだろう。


「実感」っていう言葉がある。
自分の身体の中でなにかが動く感じ、変成される感じを言うんだと思う。
「実感」が感じられるとき
人の心は満足して、なにか足場のような、土台のような安定感を得るのだろう。
バーチャルな世界には
そんな「手応え」がない。
間接的に触れる世界からは「実感」は得られない。


自分が自分であるという感覚は
身体の感覚と結びついているが
そこにはもしかしたら、感情も含まれるのかもしれない。
怒りや悲しみ、寂しさや疲労も
自分だけのもので、経験の手応えだ。
自分がここにいるってわかる。


ふりかかってくるたくさんのこと、
失われていくたくさんのもの。
苦しいけど、でもそれが受け入れられる。
悩んで迷っているけど、それがイヤじゃない。逃げ出したくなったりはしない。
そういう「当然」の感じ。
一人で受けて立って、気負わない。
ヒロイックでも、メロドラマでもない。


「日常」の感じだ。


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誤解されたり非難されたりしたとき
解り合えない他人から切り離されて、自分がここにぽつんといて
ああ、これが自分なんだなあと思える。
境界線が生まれたおかげで
「自分」のエッジに気づく。
ここに自分が、他人から切り離されて、こうやってひとりぼっちで暗闇に立っているんだと
そのことが肌で解る。
どかーんと重い大きな岩のように「自分」が立ち現れて
絶対的に孤立してるんだ、と感じる。
語っても語っても決してそこでは解りあえないということが解ったとき、
自分はだれかと混ざったり同化したりしないんだ、と感じる。
誤解されたり非難されたり嘲笑されたりして初めて
自分が、アイデンティファイされる。
どちらかが正しければどちらかが間違っているわけじゃない。
この感触は誰がなんと言おうと絶対的だ。
孤立したとき初めて、自分を一個の存在として実感できる。
自分の声が聞こえ、
アウトラインが決まる。
溶け出さない容器。頭蓋骨。