石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

on/off


しばらく前に撮った朝日。


このところ
インスタントじゃないコーヒーを淹れるのがマイブーム。


デジカメとか
飛行機とか
編み物もそうだったが
拒否したり自分とは無関係だと思ったり抵抗を感じたりしていたものに
ひとたび心理的ハードルを越えて触れると
とたんにおもしろくなってしつこく繰り返す
というクセが
私にはある。



そのうち飽きるんだけど(爆


否定と肯定
って
とても密接な関わりを持っている。
何かを「わかる」ということは
ほかのことと切り離すということだ。
それ自体の絶対的な性質を見いだすということはなくて
ほかのものでは「ない」というところで
浮かび上がってくる。
何かを説明するときは
「それではないもの」
を否定すると、わかりやすくなることが多い。
Xの特性を説明した後で
それは、AでもBでもCでもない
といったとき
Xの性質がよりハッキリとイメージできるようになる。
いわゆる
「際立つ」
というやつだ。
キワが立つ。
境目がハッキリする、ということだ。


何かを理解するために
それ以外の部分をスイッチオフする
ということもある。
余計な街灯を消さないと
星のひかりや蛍のひかりは見えない。
ノイズを消さないと何を話しているのか聞こえない。
でもそこで
「スイッチオフ」
されたものが
「なかったこと」
にされてしまうと
問題が起こる、こともある。


否定で浮かび上がってくる「存在」と
ある存在を際立たせる際に消されてしまう「存在」。
灯りはつけたり消したりしなければならない。
つけて、その目的を達したら、消す。
消して、その目的を達したら、つける。


あかり
とは
つまり、
意識にのぼらせる
とか
焦点を当てる
とか、そういうことだ。


徹底的に抵抗していたから
そこに踏み込んだときに、そのことの細部が際立って見える。
自分に関わりがあることを発見して、夢中になる。
「新しい世界」が、「自分の世界」の一部に組み込まれて、
限界が拡大し
国境が長くなる。


その向こうにまた新しい「ここから先には行かないぞ」という壁ができるんだけど
まず新しい場所に踏み込んだときは
そのことはとりあえず置いておいて
新しい場所を自分の場所に変えることに夢中になる。


一度取り込んだ場所について
また解放してしまうこともある。
そのとき、そこは
自分の国ではないが
他人の国で入れない場所、というわけでもない
という
中立地帯になる。


この「中立地帯」が増えると
何か良さそうな気がする
というのが
最近の仮説だ。


そのとき
「つけたら消す・消したら後でつける」
という機能が
何か役に立ちそうな気がする。


つけたら後で消すし、消してもまた後でつける
ということを織り込み済みで行動するとき
余裕が生まれるし、自分の意志とか行動が確かなものに感じられる。


なぜなら
光があるかないかということと
それがそこに「ある」かどうかということは
全く別のことだからだ。


「我思う ゆえに我在り」
なんだろうけど
「おも」わないときだってそこに「ある」ものってのが
やっぱり
ある。
意識にのぼらないときも
自覚してなくても
いいものでもわるいものでも
焦点が当たらないときも
忘れてしまっていても
「ある」。
だからそれがときどき、みつかる。



自分の心の中にも、外の世界にも、
きっと、そういうものが「ある」んだ。



というわけで(どういうわけだか


ちょっとチャレンジしてみようかな?と思っていることがあるのだが・・・・・・・・


自分の人となりを考えるとあまりの暴挙のような気がして
躊躇中。


ああ
どうしよう(悩