石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

-spect-

桜塚やっくん
「あゆ似のビジュアル」
という某スポーツ紙のコメントをwebでみかけて


えー?(語尾上げ


とおもっていたのだが・・・・
http://www.avexnet.or.jp/ayu/discography.html



似てる(涙




っていうかぜったいこのジャケットってスケバン恐子


意識してる
リスペクトしている
インスパイアされている


としか思えない。


どーでも いいですよ。

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http://www.futsugou.jp/main.html
不都合な真実
”An Inconvenient Truth”


おすすめ・・・・かどうかはわからない。見てないから(年明け公開らしい)。


でもこの「不都合な真実」っていうタイトルは(訳だけど)
シャープで、すごく良くできてる。
truth、「真実」というのは
それが隠されているという前提で成り立つ言葉だ。
むきだしになってるものは
「真実」
とは呼ばない。


「不都合」
っていうのもいい。

inconvenient
って
convenientに否定のinをつけたものだ。
コンビニエンス・ストア
は直訳すれば
「便利な店」
だ。
だからinconvenientは「不便」ともいえる。


便利になります!便利です!
それが 付加価値。
それが、ビジネス。生きとし生けることで、叶えるべき夢だったりする。
みんなが幸せになること、の中に
「covenience」
は当然のように組み込まれている概念だ。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061129-00000005-yom-pol
いじめ提言


なるものが
政府から出されたらしい。


いじめた側に厳しい措置を執る
見て見ぬふりをした教師も同罪。
みんなでとりくもう。


これを聞いてどう思いますか?
という取材に対し
中高生とおぼしき子供(顔は出てなかった)がカメラに向かって
「イジメを見てもやめろなんて怖くて言えない、次やられるのは自分だから」
と語った。


イジメもまた
不都合な真実
だ。



子供の頃と大人になってからとは何が違うのかな、と考えたことがある。
小さい子供は、親から捨てられたら生きていけない。
社会から疎外されたら生きていけない。
自分で食べものと寝床を確保することができないからだ。
だから親にどんなに酷いことをされても
親にかじりつく。
感情のスイッチを切って理性的判断を繰り返し、忠誠を誓う。
どんなに自分を傷つける人間でも
その人間から傷を負わされ続けながら、その人間の気に入るように生きなければならない。
でなければ
餓死してしまうかもしれないのだ。
それほどに傷ついても切々と「生きたい」と願っているのだ。
それが
子供。


大人になったら
自分で食べものをとりにゆける。
子供ほど弱くない。
だから
自分を傷つける相手からは、離れていくことができる。
他人を傷つけなければ生きていけない人間を
自分から遠ざけることができる。


ほんとうはそうである「はず」なんだ。
なのに
多くの人がこの2つの状態の「境目」にあって
身動きとれなくなったり
こどもの心のままでいたりする。
ぜんぶがぜんぶ
ってことはもちろんない。
でも
程度の差こそあれ
だれもがこころのどこかにそんな部分を多かれ少なかれ
抱えているような気がする。



本来自分を守ってくれるはずのモノが 同時に
ひどく傷つけてくる。
ないがしろにしてくる。
足蹴にして、たちなおれなくなるまで踏みつける。
もう誰も信用できなくなる。
他人はおろか、家族も、自分自身でさえ。


「守る」って一体、どういうことなんだろう。
自分を傷つけることでしか自分が生きていることを信じられなくなってしまった窮鼠の心を
誰が守ってくれるのだろう。
他人をいじめることでしか自分の手応えを信じられなくなってしまった窮鼠の心を
誰が守ってくれるのだろう。
自分で自分を守れるほど強ければそれでいい。
ある本に
「誰でも、誰に何を言われても傷つかないでいい、という権利がある」
と書かれていた。
著者は、アメリカ人の医者だった(たしか)
いま、その本が本棚に見つからない。



生きていたい、食べなければならない、勝っていかなければならない。
負けた瞬間、勝っているヤツに飲み込まれて食べられなくなるかもしれない。


inconvenient truths。


不都合な真実はそこらじゅうにころがっていて
それを横目に見ながらみんな
「やれない理由」「できない理由」「やらなくてもいい理由」
を積み上げて人に説明して
おそろしいほど理性的に、納得しあう。
私もそうやっていきてきただろう。
意識的にも、無意識にも。
都合よくついてきた自他へのウソなんかいくらでも、星の数ほど思い出せる。



人の目は、なぜか
合わせた焦点よりも視界の端っこの方がよく見えるようにできている。
夜空に星を探すとき、もしその星を見失ったら
その星のありそうな場所をじっと見つめるのではなく、
その傍らの暗がりを見つめてみればいい、と
天体観測の好きな友達が高校生の頃、教えてくれた。


そうすると
視界の端っこにたしかに
見失った星の姿がよみがえる。