石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

名前

iyukari2006-08-17

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060816-00000076-jij-pol

お世話になっているので
一応メモしておこう(爆




星占いができたときは
土星までの天体しか存在しなかった。
だいぶ時代が下がって
望遠鏡ができてから
天王星以遠の星が見つかった。
これを
トランスサタニアン
だの
アウタープラネット
だのと呼び習わす。


なので
天王星海王星冥王星
だいぶこなれてきてるなーとおもうけど
実占ではまだまだ説明のしづらい星々だ。
それまでの既製品の枠ではかれない
新製品
だから
それが人間にとって果たしてどんな意味があるのか
まだ時間に叩かれていないのでよくわからない
言語化し切れていない
という気がする。


元々我々の中に存在するものでも
発見されていないものは多々、あった。
最近まで遺伝子の存在は知られていなかったし
「無意識」の存在も近代になってようやく言語化され
考える対象とすることができるようになった。
自分で見るのが「ナイト・メア」だけど
自分で作り出してるはずなのにコントロールはできない。


自分のなかにあるけど未発見
のものって、たくさんあるのだ。
あるのはうすうすわかっているけど
言語化できないとか
肯定できないからなかったことにしてるとか
そういうものが私たちの心の中にも身体の中にも
いつもたくさん存在している。
自分のことなんだから何でも知ってるような気がするけど
じつは
他人のことのほうがよくわかったりするもんなんだ。


雨が降るメカニズムは
ほんとのところではまだよくわかってないらしい
って教えてくれたひとがいた。
地球で、
こんなに身近に降ってくる「雨」がどうやって降るのかもわからないのに
冥王星の遙か遠くにある星を
仲間かどうか判断しようとしている意識があるなんて
とてもユーモラスだなあ
とおもったりする。


トランスサタニアンは
とても魅力的だ。
未知のものは
いつも魅力的なのだ。
人の心がぎゅうっとひきつけられて
私たちはそれを凝視する。


新しく見つかった星々も
(ゼナ、ケレス(セレス)、カロン
星占いでは「新しい言葉」。
私たちの中に見つかってなかった、
でもずっとそこにあったもの
だ。


それがなんなのかを
多分私たちはこれから探求していくことになるんだろう。
私たち、とは
星占いをやる人間のことじゃない。
たとえば無意識の存在については
医学者や心理学者や臨床の現場の人たちや自分が病を得た人たちや
自分の行動パターンに悩む人に至るまで
実に多くの人がその探求を行っている。


星占いでトランスサタニアンを考えるということは
そういう人間の活動のほんのちいさな1ジャンルに過ぎない。
今回惑星として認定されるかもしれない星々についても
同じようなことが言える。
既に起こってしまっているのだ。
それに名前が付くだけなのだ。
でも名前が付き
対象化されると
人々はそれについてふかく考えることができる。


名前を付けるということは
社会的行為だ。
たとえば1対1の人間関係も、「社会」のひとつだけど
そこで相手の名前を知り、それを呼ぶということは
その相手をなんらかの形で
意味づけるということなのだろう。
そのとき
定義されて社会的命を得る「実体」と
言葉という枠からぬけおちてしまう「実体」とに
その対象が、分割される。


社会的に言語化された「名前を付けられたもの」は
その後、思考や探求の対象とすることが
おおっぴらに肯定される。
人間にそのテーマが、共有される。
学部が創設されたり学会ができたりするのに似ている。
ぶらぶら病といわれて非難され差別されたような症状が
メカニズムを明らかにされて名前を付けられたとたんに
共感し、いたわらなければならない歴とした「病気」として正当に扱われるのと似ている。
かつて存在をみとめられなかったものが
名前を得て、存在を認められる。
ちゃんとマトモに扱ってもらえるようになる。
みんなが、それに向き合う人を肯定できるようになる。
意識化される。


でもそれは
意識化される前からちゃんと存在していたのだ。
ただ見てなかった、見えないフリをしていた、そこにあるのがわからなかった、
ただそれだけなんだ。


ありふれていて分かり切っていると思えているものの中にも
まだ知らない、未知のことは隠されている。
それを見つけ続けることができる人の眼差しほど
生き生きと輝いて見えるものはない。

      • -


画像は
九段近くにある「寿人遊星」の写真。
1986年にハレー彗星がやってきたとき
千代田区が建てたのだそうだ。


最初にこれを発見したとき
衝撃でしばらく動けなかった・・・・・


もう言葉は要らない


ってこういう感じなのかとおもった(爆


          • -

8/20
「もう一寸、うお姫さんの意見を真剣に考えてたら?
 カロンが惑星に昇格した場合、冥王星と常にコンジャクションになる。
 ルーラー同士がずっと合なんて、アスペクトの意味が根本から問い直される。物凄く重要な事なのに。
 石井ゆかりの見解に失望した。お金を貰ってる癖に逃げている様にしか思えない。」


とゆー書きこみが掲示板にあった。
「お金貰ってるくせに」というのはちょっとひっかかるけど(主題から離れてるからここでは議論しないけど)
確かに正面切って見解を出してないのは
まがりなりにもまいにち星占い書いてる立場としてどうかなとはおもったので
いちおう
今のところの私の考えを書きます。


ただし、これは私の基本スタンスだが
私は個人占いもやるし、12星座の記事も書くが
経験的な蓄積ってのは何となくできてきた部分もちょっとはあるけど
あくまで「西洋占星術」という
ひとつのできあがったものの「運用」をしてる立場であって
「占いを再構築しようとしている研究者」ではないというのは、ご記憶願いたい。
つまり
「古今の星占い研究者(天文学ではない)達が天から降らせてきたものを適宜使ったり無視したりする」
というスタンスに立っている。
臨床と研究の差、みたいなことと自分では思っている。


で。
この問題は4つの部分に分けて私には感じられる。
ひとつは、天王星以遠の天体について従来あった議論(星占いはあくまで7星、という立場が今もある)。
もうひとつは、従来、小惑星を含めて占う立場の人たちの議論(既にやってる人がいる)。
もうひとつは、恒星占星術、彗星などを扱う超古い占星術の議論(古典の立場)。
で、今回の「惑星」の定義を変える、という議論、だ。


いま時間がないのでひとつひとつをつきつめないけど
これだけみても、
新しい惑星が増えたからルーラーシップをすぐに変えて星占いもみーんなリフレッシュ!
みたいなことには
すぐにはならないだろうなというのがご想像頂けるのでは、と思う。
わたしは少なくとも
そのくらいの距離感で眺めている。


今回、掲示板に書き込まれたテーマは
4つ目の「惑星」の定義を変える
というやつ。
惑星が増える
というより
「惑星」の定義が変わる
ということなのだ。
で、結果として増えたことになる。


定義が変わらないのに増えたなら、それは「発見」になる。
でも、定義が変わったのなら
これは事情が違う。
当初「12個に増えるかも」といわれていたが
こんどは「24個になるかも」というハナシだ。
天文学で言う「惑星」と
星占いで使う「天体」のあいだには
つながりがあるようで、ないようで。あるようで。ないようで・・・
なのだ。
ipアドレスドメイン名の関係みたいなかんじ。
漠然と対応関係があるようで、ないようで、あるようで、・・・・・
つまり
天文学が「惑星」の定義を変えたとしても(大きさとか軌道とか組成とか云々)
星占いで使う「天体」の定義が変わることとは
また別問題なのだ。
だいたい、
「ライツ」とかいって太陽と月をほとんど同列みたいに扱ってるあたり、ぜんぜん天文学的ではない。
恒星と・・衛星だぞ!(爆
もとい、月は地球にとっても近いから特別(はあと
とかいうなら
むちゃくちゃ遠くにあるそれも月より小さいカロンなんか
星占いに使うかどうか議論ができるのかどうか・・。


100歩ゆずって
惑星が12個に増えるということは
それに太陽と月を加えて
星占いで使う天体が14になることになる。
とりあえず12こはルーラーとして当てはめて
あとはサブがないところにサブをつける・・
みたいな安直な結論になるのかどうかわからないのだが
そもそも、土星までの7このルーラーシップについては
ちゃんと体系化された手続きがあって決まっている。
まず月と太陽が決まり、
そのあとは順々にシンメトリックに並んだ。
そこには、ひとつの考え方がすぱっととおっている。
なぜそうしたか、というリクツが、まがりなりにも、存在する(今書けないけど(今度どっかで書くね


しかし。
天王星以降のハナシは、
この「体系」から考えると、けっこうアバウトなのだ。
だから私は、たとえばホラリーやるときなんかは
たいてい、土星までしか使わない。
それ以遠の星は、援用はするけど、最初からメインにはしない。
個人のホロスコープを読むときは
冥王星までぜんぶ使う。
でもルーラーシップについては、少しファジーだ。


キロンや小惑星帯の星は、あまり使ってこなかった。
これからも多分、使わないと思う。
「惑星」に昇格したとしても
昇格と言うよりは、やはり「天文学上の定義が変わった」としか言えないので
星占い研究者の研究結果、
どうも信憑性がありそうだ
という意見が多数を占めてきたら
援用することも考えるかもしれない。
もとい
人間の意識や社会の構造の変化に伴って
それらを使わなければ絶対に解けない問題
が出てきたら
自然に使っていくようになるだろうなと思う。


「言葉」は
この言葉を使いなさい
といっても
容易に残るものではない。
「E電」
という言葉は死んだが
東京メトロ
はどうやら・・息をしてる(のかな?)。
天体を扱う「言葉」が増やされても
それが言葉として流通するかどうかは
エスペラント語を世界中が話しているわけではないのをみても
一目瞭然だ。


うお姫さんの


「星占いが役立たずになってしまいます。
ずっと信じてたのに悲しい
占い師はどうなるの?
失業?
ここのサイトはなくなっちゃうんですか?
国連に反対のメールを送りたいけど英語わからんし。
占いが無くなるくらいだったら死んだほうがマシです。
これも一種の自然破壊?」


っていうのは
占いごときにどーしてそこまで思いこんでしまったのかわからないんだけど(そっちのほうが心配なんだけど)
(むしろそのはなしのほうをしたいけど)
でも、もしこれで占いがなくなるとしたら
天王星から先の3天体が星占いに入り込んだ時点で
すでに星占いはなくなっていたはずだ。
ピタゴラスチックに美しい星占いの数学的体系は
すでにバランスを失っている。
もっとたくさんみつかればもっと精緻な体系になる
と思っている人もいるのかもしれないけど
私は・・・そうは思わない。


「ルーラー同士がずっと合なんて、アスペクトの意味が根本から問い直される。」
という議論は、
惑星の定義が変わったときに
これらの星がルーラーシップをとるかどうかの議論がまだ
長く戦わされなければイケナイだろうと思うし
カロン冥王星の周りを回る星)がルーラーシップを受け持つとしたら
それはそれで何らかの、星占い上の論理的根拠がなければ
成り立たないだろうと思う。
7惑星の世界で考えられた体系を
定義の変わった「惑星」にそのままストレートにはめこもうなんて
発想が短絡的すぎると思うし
もし、星占い研究者によってそんなことが行われるとしても
私は・・・実占上の支障がない限りは
採用しないだろうと思う。
運用上は1つの天体として扱うしかないし
だとすると
もう使ってきているのだ、とも言える。(かもね
冥王星」が占めるポイントの解釈の深みが増す、その手がかりにはなるかもしれない。


星占いは統計だから信用します
という方がいる。
たしかに経験則の積み上げみたいなのは
けっこうあるだろうとおもう。
でも、出発点は「統計」ではないのだ。
あくまで、星占いの体系という、
ものすごーーーーーーーいいにしえにつくられた、堅牢な原型的マンダラがあってのことなのだ。
そのマンダラをだれがどうやって考えついたのかは
いろいろ憶測はできるけど
結局
だれも確かなことは言えない。(だろう。)


私は、以下のサイトを以前から尊敬してる。
http://www.alles.or.jp/~kenroku/
でも、そのとおりには占いはしていない。
新しい占星術の方法(たとえば、天王星海王星冥王星)も使っている。
ただ、どちらかといえば
元々の体系に忠実である方が、信憑性があると思う。
なぜなら、星占いは技術革新によって生き残ってきたシステムだとは
私には、あまり思えないからだ。
古い基本的体系が
ほぼ、まもられて
それにわずかにオプションがついて、今の形がある。
私はカナリ保守的な方だと思う、
実占ではサビアンもハーモニクスも使わない。コンポジットさえ現場では使ったことない。
自分たちで星占いを生み出したのではない以上、
新しいものを入れるときはほんとに慎重になるべきだし
それが冷静で誠実な態度だと思う。
星占いは、私にとっては
ユングのいうところの「集合的無意識」とか「アーキタイプ」とかの1つの体系なのだ。
それは、新しいものをどんどん取り入れていいものに変えていきましょう!みたいな
資本主義的ハッピーな世界ではないのだ。
少なくとも私はそんなふうに星占いと関わっている。


星占いの、星座の並び方とか、星の順序とか
そういうのにも、一応のリクツがあって生まれているのが「星占い」だ。
星をそのまま読み取ったら星占いになった!
というのではなくて
整理された堅牢な体系があって、そうなっている。
だから丈夫で、長持ちしている。
天文学的な「惑星」の定義が変化するときに
星占いそのものの体系が変化するかどうか、は
私には疑問だ。
なぜなら、西洋占星術のリクツで言えば
「星」
はあくまで
太陽・月・水星・金星・火星・木星土星
だけ
だからだ。
肉眼で見えるもの。天動説。
地動説が主流になっても
星占いはいまだに、天動説のままなのだ。


以上。
全然論理的じゃないですが
臨床の現場にいるものとして
学会の見解に一般臨床研修医的見解を出してみました。
「権威」
ではないので、
信じないで下さいね(こんなこと書くとまた問題かな・・・そんな向きは、煙草のパッケージでもみて怒りを収めてねv)