石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

バックグラウンド

google earth
http://earth.google.com/
世間様でなにかととりざたされているのを横目で見てたのだが
先日、アメリカ在住の友人が
「この住所見てみて」
とメールをくれたので
思い切ってダウンロードしてみた。




おーーー
みえるみえるすげー


自分のうちと友人のうちをぐいーんと移動して見ると
すごく近くにも
すごく遠くにも思える。


こんなところにいるんだ
と思ったら
なんだかその友人のことがすこし違って感じられた。

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衝撃的な事件に触れると
人はそれぞれ
自分の中にあるなにかを引っ張り出される。
感情が喚起される。

それを人に伝えたりする。


これはゆるせない
これは悪だ
とか
これは悪だといわれているけれどそうじゃない
とか
もっと曖昧な言い方とか。


あるニュースを見て、自分のなかに喚起された怒りや悲しみ、反感。
その感情の出所は
自分の体験、これに尽きると思う。
自分の体験と関係ないテーマには
強い感情を喚起されたりはしないからだ。


この「自分の経験」を
人に説明できる場合は
だいたい、この「感情」は納得してもらえる。
でも、説明できない内容の場合は
受け取ってもらえない場合が多い。


たとえば。
ある殺人のニュースをみて
いろいろな人がいろいろな感想、感情を抱く。
身内を殺人事件で亡くしたひとの感想、
身内が加害者になったことがある人の感想、
身内を堕胎や自殺でなくした人の感想。
それぞれの人のバックグラウンドを知らない人が
それらの感想を聞いたら
たぶん
意味がわからないだろう。


バックグラウンド。
これがわかるとわからないでは
コミュニケーションには、えらい差が出る。
その人がどういう体験をしてきたかを知れば
そのような感情を抱くのはなぜなのかが納得できる場合がほとんどだ。
だから共感が可能になる。
でも
バックグラウンドを知らないまま、感情や結論だけを受け取ると
そこには違和感と誤解が生じてしまう。
どんな立場にも、かならず
なんらかの相反する立場があるからだ。
対岸に対峙する別の立場があるからだ。


「悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけない」
と語る人が夏はテレビによく出てくる。
でも
日本は「テロ国家と戦う」と宣言したアメリカを支持し
金銭的にものすごい支援をしている。
名目はどうあれ
カネに色は付いてない。
つまり
税金払ってるだけで今現在も既に戦争をしているのだ。
そのひとも。
「戦争は殺人だ、人を殺すのはよくない」
と言っているその人も
「人殺しはどんな理由でも許されるべきでない」
と言っているその人も
日本に住んで選挙権を持って税金を払っているだけでいまのところは人殺しなのだ。
米軍がイラクでどんなことをしているか
事件や問題として取り上げられているものを小耳に挟むだけでも
そこが戦争状態であることはわかる。
死刑制度はまだちゃんと生きている。
個人的に望むと望まないにかかわらず荷担しているのだ。
国の命令で人を殺して戦争に負けて戦犯になった人との立場の差は
論理的には、ないようにおもえる。


私はここで戦争反対や死刑反対論についてなにか言いたいんじゃない。
なにかの感情や意見を持つとき、その
バックグラウンド
となるもののことがとても気になっているだけだ。
注目されていることや本質的にテーマになっていることと
経験をモトに心に喚起される感情は
ときにずれを生じる。
そのズレの根拠になっているのがこの
バックグラウンド
かな
と思って

そのことを
書いてみた。


google earth
世界中の地理が画像で見える。


私の友人の生きている雰囲気も
戦場で起こっているリアルも
私からは手の届かないところにあって
中途半端な情報が入ってくるだけだ。
そしてその中途半端な情報をもとに
彼の気持ちを想像してメールを書いたり
選挙権を行使し、国民としての義務を「果たす」。



裁判の目的は
罪を道徳倫理的に断罪することではなく
社会を安全に運営することなんだ。
善悪をうたうのじゃない。
社会にとっての利益不利益を判断しているだけだ。


本当の罪は人の心の中にしか存在しない。