石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

オマージュ2

桜塚やっくん「めっせえじ」より。
http://www.topcoat.co.jp/ja/tc/sakuraduka/


「今日は豊田のショッキフェスタというイベン行ってきました
 (中略)
 ここでネタ中に
 『お土産を買って帰ろうと思うんだけど何がいい?』
 って聞いたら、トヨタだけに
 『車!』
 って言われました…。
 そうそう、トヨタに来たら車だよね!
 買って帰ろう!
 ………って買える訳ないだろーがー!!」



なんかフツウなんだけど
ツボ(ずばん)
(ちなみに 改行は石井ゆかり。)




今日
ある方の日記を読んで
それへのアンサーソングみたいに書いたのが以下。

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「証明」には
動機と仮説が必要になる。
人は何らかの動機の元に仮説をたてる。
そこが実験や検証の出発点になる。
なにかを証明するために実証実験が行われるのであって
基礎研究といえども
無目的にやられることはないのだ。
人間はどんな行為も
動機なしにはやらない。


仮説や思考が先なのだ。
コマーシャリズム由来の似非科学の不確かさは
仮説や思考と実証実験の距離が短すぎる。
因果関係や関連性を
限りなくショートカットしてアリもしない道をあると言いつのる。
そこにはたしかに、問題がある。


でも、
「自分で考えたこと」「感じたこと」
がなければ
どんな研究も、どんな実証も、
そもそも存在し得ないのだ。


だからこそ、
自分で考えること
は正しい。
それを人に伝えることは
自己満足のための表現ではなく
「実証」へのストイックな第一歩なのだ。


自分で考えたことを人に伝えるのは
恐ろしいことだ。
間違っているかもしれないし
反論されるかもしれない。
それは学者が自分の仮説を元に実験をするときに
本来感じるべき恐怖と似ているだろう。
「自分の着想が間違っているかもしれない」
という、恐怖感。


それをのりこえて
敢えて他人の目や実験の場に
自分の仮説や考えを
鉄を炎で鍛えるかのように「焼いて」みることは
勇気ある、誠実な行為なんだ。


自分が何をしているのかを
わすれてはいけない。
自分が自分の考えを火にくべてその強度を試しているのだということ
その勇気を忘れてはいけない。
その勇気を忘れると
そのあとにくる炎の熱さに耐えられなくなってしまうから。


「自分が考えたこと」と「因果関係が証明されたこと」
どっちかがどっちかに飲み込まれてしまう必要はないと思う。
かならずまもらなければならないなのはただひとつ
両者を明快に切り離して表現することだけだ。
どこからどこまでが自分の考えで
どこからどこまでが、他人の考えや「情報」なのか。
これをハッキリさせること。
これが
私が大学で教わったいちばんたいせつなことだと
かねがね、思っている。

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それへ頂いた別の方からのコメントへの
私のレス。

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情報と知識は、おっしゃるとおり、人類の共有財産なんだと思います。
だから生ビールが1杯450円で居酒屋にあり、
小林秀雄の文庫が1冊50円で古本屋に置いてある。
この50円は古本屋さんの仕事への対価で、
小林秀雄の仕事への対価ではないですよね。
知的所有権っていうのは、
産業革命で「知識が速攻お金になる」という現象が起こったとき初めて生まれた観念で、
そもそも知には所有権なんかなかったそうです。
これは、子供が親の所有物ではないのと同じ事だろうと私は思っています。
子供を、社会でいきていけるように責任もって育てて巣立たせてあげることは親の義務ですが、
「知」にも、同じようなことが言えるのかもしれません。
自分の心に生まれた考えを、ちゃんとそだてて、巣立たせてあげること。

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お二人のメッセージについて
私が考えたことを書いて
そこでまた
新しいコメントをいただいて
って
ずっと考えが繋がっていく。どこかへ。


おもしろいなあ。
このことそのものが
この日記の根幹にある気がする。


だれかの考えを見て
そこで私の心に新しい考えが生まれて
またまったくほかのだれかのほうに
その生まれた考えがわたっていく。


水瓶座天王星が作ったものってこれだろうなとおもう。
この道筋。


じゃあ魚座天王星は何するんだろうな
などと
考えたりするのだった(職業病