石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

トラブルサム

なんかもう今日はあちこちで
コミュニケーショントラブルの連続・・・・・・TT)
なんだかんだ
言い方が悪くて



かしわもちひとつ満足に買えなかった!(爆


オバチャンに遠慮して
いっぱい買ってしまった・・・・・・
こんなに
どうせいとゆーのだ(TT


PMS
せいかしら(涙




昨日から今日にかけ
移動中の電車の中で
かのベストセラー
ダ・ヴィンチ・コード」と「反ダ・ヴィンチ・コード」を
一気に通読した。


買ってはいけない

買ってはいけない買ってはいけない
を彷彿とさせる議論だった。
つまり両者
同じようなパッションに基づいて、同じ論法で逆のことを書いている
という組み合わせで
楽しかった(爆


私はキリスト教には造詣が全然深くないので
だれがどう間違っていて正解なのかを判断できる術もない。
中には「日時計」ネタのように
「それは揚げ足取りだろう」的なツッコミも散見されるように思うが
ダ・ヴィンチ・コード」の中で
例の名作「最後の晩餐」がテンペラ画であるかフレスコ画であるかを間違えているとゆーのはさすがに
それは問題だろう
と思った。


たぶんコミュニケーショントラブルというのは
発信側のトラブルなんだとおもう。
おもいこみとか
そのときはわすれちゃってることとか
自分の中の前提とか記憶とか
その他
もろもろ。
記憶はすぐに嘘をつくのだ。
そういや
私が過去に住んでいたアパートが道のどちらサイドに建っていたか、を
数年経って訪れたとき完全に逆に記憶していたと知ったときは
自分でも呆然とした。


ただ本当にこの「買ってはイケナイは買ってはいけない」・・じゃなかった
「反ダ・ヴィンチ・コード」が正しいんだとすれば
編集側の校正ってほとんどなかったのかなと
不思議な気持ちすら、する。
だいたい、こう
出典とか、根拠とか
いろいろ細かくネタの出所をつっこまれるものなのだが・・・
たとえば
ニケーア公会議で賛成票と反対票がそれぞれ何票だったかとか
そういうのはラクに出典チェックできるネタなのではないかとおもうのだが・・・
(いや、もしかしたら出典はちゃんとあって
 この「反」のひととはちがうニュースソースなのかもしれないけど)


機械やコンピュータはいつも人間よりも正確に計算すると信じられている。
だから、人間は「チェックする」機能を失いつつある。
正確にやること、緻密にやること、自分のやったことや記憶に疑いを抱く(ことができると信じる)こと。
そういう機能を喪失しはじめている。
少なくとも私は
そんなふうに感じる。
無論、自分自身も含めて。

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「人間は自分の姿を、知見をふやすことによっては見いだしえない。
 彼が自分の姿を発見するのは、彼が提起する課題においてである。」 ーアンドレ・マルロー


うーん
含蓄(しみじみ


「提起する課題」っていうか・・・・「創出する問題」かな


問題と書いて
トラブルと読む(号泣


気を取り直して
週報やります


「やってしまったことはとりかえしがつかないから
 しばらくは 後ろではなく前を見よう
 そしてしばらくあとで孤独に反省しよう」  ー石井ゆかり(自分へTT)