石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

朝令暮改

このタイトルは数日前から決めていた。



バカみたいだけど
ずっとかんがえていた。
考えすぎて
混乱した(爆
囲碁の世界では
「下手の考え 休むに似たり」
という言葉があるが
バカが考えすぎているのは
何も考えずに休んでいるのと大して変わらない結果しか招かないということだ(な)



結論から言うと


「占い」復活



そうすることにした。


べつにこんなの
こんなところに書かなくたっていいんだが、、
「日記」なんだから
ヒトリゴト
なのだ
でも
見てくださる人
もいたりして
・・・
Web日記って
非常に微妙だ。
意識しないで自然な感じで!
って
カメラマンに言われてるみたいな感じ
っていうか
撮られているのを意識しながら
自然なフリをしている感じ(爆


でも
ブロガーなんて
みんなそうじゃん(ヒラキナオリ)


赤信号
みんなで渡れば
怖くない。



以下
読み手のメイワクなんか全く無視して勝手に長文を書く(今に始まったことではない)。


「『占い』やめよう」
とおもったのは
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20060321
こういうわけである。



サイトトップから「占い」という言葉を消してみて


・・・


じゃあ6年もなにやってきたんだ。


と思い至った。



何やってきたのかな

つらつら思い返してみた。


メールによる個人占い
がそもそもの筋トレの発端であって
今はメール占いは休止だけど
「個人のホロスコープを見る実占」
は、
ほしゆびわシリーズとかもろもろ
ずっとなにかの形でつづいている。
6年間、やめてない。


では
個人占い
とはなにか。
個人占い
とは
まず
メールでご依頼が来るのである。
そのご依頼には
・悩み
・不安
・未来のこと
・自分とはなにか
・自分の特徴はなにか
・別に悩んでもくさってもいないけど自分についてなにかおもしろいことがあれば知りたい
・今はどんな時期か
・星占いってどういうリクツかしりたい
などなど
さまざまな「思い」「疑問」がのっかっている。

私は「ここ」にいて
それらを受信して
私なりに心動かされたことについて
ホロスコープ書いたりそれをゴリゴリ調べたりあれこれ本を読んだり自分の経験を思い出したり
電車の中でずーとそのことを検討したりときにアホなりに毛が抜けるほど悩んだりして
その結果を
メールの返信として書いてきた。
メールが多くなりすぎて全て個別に返信ができなくなったときからは
「返信」のバリエーションとして
週報や
雑誌の記事や
本などを
機会に従って書いてきた。


いろんなもんを受信して
そこからあれこれ調べて考えて
いろんなもんを発信する
という
受発信活動。
これが
「筋トレ」

いわば活動内容である。


占いは古来
迷ったり悩んだりした人が「占い師」を訪ねるところに発生する。
「占い師」は
水晶をのぞいたり
カードをひろげたり
星を計算したり
さいころを振ったり
亀の甲羅を焼いたり
みえないものをみたり
なにかを燃やしたり
なにかを湿らせたり
なにかを投げたり
なにかを混ぜてその中からなにかを取り出したり
およそありとあらゆる「偶然」をのぞき込んで
そこからなにかを「言う」。
手法もまじめさも千差万別だが
一つだけ完全に一致しているのが
「悩んだり迷ったり答えが欲しかったり答えじゃなくてもヒントが欲しかったりするという思い」
があって、そこに
「占いする人」
がいる、ということだ。
「占いする」
というのはすなわち
「不安や悩みや興味本位やその他諸々があるところに『いて、なにか言う』」
ことだ。

私がこれまで6年間やってきて
これからもやろうと思い始めていることは
「いろんな思いがくるここにいて、
 心に引っかかったテーマについて考えて、なにかの形で発信する」
ということだ。
で、これからはさらに意識的に
「そこから逃げないようにしよう」
と思っている。
これは、「聞かれたら何にでも答える」という意味ではない。
さらにへたをすると
ホロスコープを使わずに発信することすらある。
ホロスコープを読むことに責任のポイントがあるのではなく
あくまでも、投げかけられたテーマに対して責任のポイントをおくからだ。
できないときは
できない、って言うだろう。


そういうことができるようになるために
いくつかのことを、この年明けからスタートさせた。
それらのなかには
全ての人に見てもらえることもあれば
そうではないこともある。
でも、
結局はみんな
週報とか、他の記事とか
そういうところにアリアリとあらわれるだろう。
・・・もしあらわれなければ・・・・やってる意味がないな(汗


当たるも八卦 当たらぬも八卦
といわれるのは
「そこにいることに責任を持っている」人間が
決して完全ではあり得ない「人間」だからである。
勝ち投手になることもあれば、負け投手になることもあるということだろう。


昨日、尊敬するSさんという方に
こういうことを言われた。
「『当たるも八卦、当たらぬも八卦』だから
 気軽に聞けるんですよ」
と。
この「気軽に」っていうのが
私はすごく納得した。
これは
「対等に」
ということなのだ。
「100%相手が正しくて自分が間違ってる」
ではなく
「相手も間違うかもしれない」
というところに
実は、妙味があるのだ、と気がついた。
「お前バカなこというかもしれないけど、もしかしたらおもしろいこというかもしれないから
 ためしになんか言ってみれ」
というのが
占いをする人間に投げかけられる「問い」の形式なのだ。
ここで必死に汗を掻いて調べたり考えたりして
「こ・・こんな感じで考えたんですがね」
とこたえる。
で、依頼者さんがそのこたえにピンとこなければ
「バーカ、もう来るか!」と言える。
この対等さがたまらない(爆


そんなふうに
占星術」「占星学」と
「占い」「星占い」は
やっぱり、ちょっと以上に、ちがっていると思った。
前者は科学技術というか、学術研究、要素研究みたいなものだろう。
後者は町工場とか、なんかそんな感じかもしれない。


石井ゆかり@筋トレ にとって占いとはなにか

ここまでマジメに考えるのは
世の中では私一人なわけで
他人からすればたぶん
崖から思い切って飛び降りるかどうかを逡巡しているペンギンのごとく
滑稽至極の風景なのである。
でも人間がなにかを一生懸命やるときは
端から見ればたぶんそいつは常に滑稽なのだ。
汗を掻いていて
マヌケである。
焦りや不安がすぐ顔に出るし
あがればわらってごまかしている。


・・・
まあそういうことでとりあえず
「占い」って言うことに
したのだった。




ロシア人の名前の長さに文句を言った自分に深く恥じ入る今日この頃なのであった。