石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

「場」の力

昨日
突然メールで
この5年ほどずっといきつけだった飲み屋さんが閉まるという知らせがきた。
あわてて、かけつけた。
そこは以前の住まいの近くにあって
でも、今の住まいも以前の住まいからそれほど離れていないので
ちょくちょく通っていたのだった。
店を閉める話は昨年末から聞いていたのだが
やっぱり
さびしい。





思えばずっとお世話になりっぱなしの店だった。
行けばいちばんながっちりで
思う様飲んでは記憶がなくなるくらい酔っぱらった。
(というかホントにいつも帰った記憶がない)(いつの間にか家で寝てる)
私は酔うと声がでかくなるタチなので
たぶん相当、メイワクもかけていたのだろうとおもう。
でも
そんな私を
ゆるしてくれたお店だった。
ワガママで自分勝手になったヨッパライの私を
追い払わずに、嫌な顔もせずに、親しくつきあってくれたお店だった。
おうちみたいな場所だった。
いつもそこにあるんだとおもっていた。


それがなくなっちゃうなんて、ホントにかなしい。


もちろん、いろんな事情があるのはわかっている。
お店をやっていくというのは
それこそ客には全然わかんないような苦労が
いっぱいあるはずだ。
なんでも、舞台裏は
他人や観客には一切わかっていないものだとおもう。


ただ感謝の気持ちでいっぱいなだけだ。
なくなるとおもうと
どんなに大事だったか、というのが思われるのは
なんだって同じだ。


マスター、今までありがとうね(涙

      • -


「何で週報を書き続けるんですか」
というご質問
しばしば頂く。
先週もメールで2件いただいた。
確かに
それでもうかるわけでもなんでもないことを
誰に頼まれたわけでもなく飽きもせず毎週毎週書き続けるなんて
理解不能
とおもわれる方のお気持ち、よくわかる。
私だってそう思う(←バカ?)


でも。
「いつもあたりまえにそこにある場所」
って
たぶん、とても大事なんだ。
お店とか会社とかが
「営業している」
ということは
この世に、一つの「場」が提供されている
ということだ。
そこは、そこを利用する人にとっては
その人の住む世界の一部となっている。
上記串焼き屋さんが私にとって
私の住む日常世界を
魅力ある世界にするための一つの要素となっていたように。
その「場」を提供している人には、
その「場」についての感覚は、たぶん想像がつかないくらいだろうと思う。
マスターには、私があのお店をどう感じていたか
たぶん、ぜんぜん想像がつかないだろう。(つくかな)


私もたぶん、週報を書くのは
そこにそれがあるのが当たり前だと感じている人が
多少なりと、いてくださるように思っているからだろうと思う。
いや、私の勝手な思いこみかもしれないけど
でもたぶんそうなんだろうとおもう。


とはいえ
「みんなのためにがんばって書いている」のかというと
どうもそういう感覚とは
ちがっている。
私のための「場」でもあるのだ。
というか
そっちのほうがデカイだろう。
自分のお店
っていうのには
そういうなにかがあるような気がする。
自分の生活のためなんだけど
人が来てくれることに意味がある。
お金を媒介にしているけど
お金とサービスのやりとりで計算できることでは
「場」は
できていない。
なにがだれのためだかということが
判然としない。
それが「場」だろうとおもう。
ビジネスは「関係性」なのだ。
「場」
は、またちょっとちがう。
家庭だって「場」だし、学校だって「場」だろう。
オフィスだってサークルだって、一つの「場」だ。


「場」を運営する。
それが、「占い」みたいな
なければなくてすむものであっても。
そこにそれがずーっとあることに、なにかの意味がある気がするんだ。
だから
風邪をひこうが正月だろうが
どうしたって週報を更新する。なんらかのかたちでやる。
いつのまにかそういうふうに、なっていた。
それはたぶん
自分にとって星占いがなんであるかとか
仕事かどうかだとか
そういう範疇の話ではないんだろう。おそらく。


とかいって
舌の根の乾かぬうちに
今週末、いきなり休んだりして(爆


できるだけやりますv

      • -


先日
以前からお世話になっていたSTELLAさんの
過去生リーディング
http://page.freett.com/stella1230/index.html
というのを受けてきた。


正直、前世とかあるかどうかなんてわからないし
そういうものが見えるというのもなんだかコワイし怪しい
とおもって
すこし遠巻きに見ていたのだ。
だから
自分がそれを受けてみようと思うなんて
想像もつかなかった。


だが
昨年末からいくつかのご縁を介して
対面占い
というのを少しだけ、やる機会があって
これが大変おもしろいので
体験学習的になにかそういったようなものを自分でも受けてみようか
という気になり
そんな甚だ不純な動機で
彼女のリーディングに申し込んだのだった。


この境地にたどり着くまでは実際
並大抵でない心の変動があったのだが
まあ
そこは割愛する(肝心なところはそこなんだけど)


で。
リーディングの結果は
とてもおもしろかった。
なんと、私は
ルネサンス期の成金のボンボン」
だったのだそうだ(!!)
金融業みたいなことを親から継ぎ
その一方で
無名の画家を発掘するインキュベーターというかパトロンみたいなことをしていたのだそうだ。
貧しい職人画家だった友人を激務からくる病気で失い、
それをきっかけにパトロンをはじめたのだそうだ。
STELLAさんは、その友人が死ぬところを話すとき
涙ぐんでいらっしゃった。
過去生の私は
56歳で階段から落ちて首の骨を折って死んだのだそうだ。


私の前世が本当にそういうモノだったのかどうか
私は、わからない。解る術がない。
たしかめることができない。
でも、すくなくとも
人が夜見る夢が象徴と比喩に満ちているように
だれかが私という人間に接したときに
いろいろなイメージがまとまって「見える」ということは
あり得ることかも
と思う。
ホントにそれが前世かどうか、ということよりも
私を目の前にしてSTELLAさんが抱いたイメージが
それだった
ということ自体に
なにかの意味があるんだろう、とおもった。


今の私は
いくつかのテーマの中にあって
それらがとても大きなイキオイで動いている、と感じている。
そういう流れがあるからこそ
「過去生リーディング」をうけてみようかという気にもなったのだろうと思う。
人から見て自分という人間はどういうふうに見えるのか。
自分が観じている今の「テーマ」って、正しいのか、それとも、思いこみなのか。
STELLAさんという第三者と、「前世」というなにかの、メディアみたいな切り口を通すと
どんなふうに見えるのかなあと思ったのだ。

それは結果として
吉と出たようにおもう。


STELLAさんにリーディングをして頂いて
私はこの「対面」について
とても勉強になった。
上記
「場」
ということが、ここにも、あった。
STELLAさんが作り出す確固たる「場」があるからこそ
私はそこで落ち着いて話を聞くことができるし
自分自身に興味を向け続けることができるんだと思った。
この「場」を作り出すということ、
並大抵のパワーではなさそうに思う。
でもこれが一番大事なのだ。
そういうふうになっていないと
自分で安心して自分の中に入って自分のなにかを見つけるということができない。


私はずっとテキストを書いてきて
しゃべる
というのは、たぶん書き言葉よりずっとへたくそだろうとおもう。
でも、対面して話す、ということにはやはり
圧倒的な情報量の多さがある。
私が受け取る量だけ、かもしれないが。。。。


いずれにせよ
しばらく
さずかりもののチャンスに沿って
チャレンジャーになるつもりなのだった。

p.s.
メール個人占い再開を待ってくださっていた皆さん
ほんとにごめんなさい!
なんらかのかたちで確信が持てるまで、メールはお休みします・・ごめんね!