石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

公示。

今日
衆院選の公示だ。
これから「選挙戦」が始まる。
つまり
うるさくなる(涙



私の会社仕事は、変則シフトなので
平日昼間に家で占い書いたりしている事もある。
そういうときに、拡声器でおもいっきりやられると
ものすごく
辛い(涙涙


立候補する人たちだって
コンビニを利用したことくらいあるだろう。
あれだけたくさんあるコンビニに
毎日、真夜中に仕事をする人がいる。
電気ガス水道
みんな、夜中に働く人がいる。
ガードマンとか、工事現場とか、システムメンテ中のSEとか
夜中に起きて頑張って
夜が明けて初めて床につける人は
年々増えているはずだ。
それなのに。
50年前と同じやり方で
絶対に変えない、立候補者達。
強い憤りを感じる。
その辺で騒がなかったヤツにこそ投票したい。
拡声器で聞いたことのある名前には絶対に入れないぞ
くらいに
怒りを感じる。ムキー。


情報化社会
とか言われて久しく
みの○んたがココアといえばココア、
サ○イマサ○キが寒天といえば寒天が
一瞬でスーパーから消えるような世の中なのに
今だに拡声器と握手。
時間が
止まっている。
タイムスリーップ。


とはいえ。
私だってちょっとは想像できる。
選挙とコミュニケーションメディアがうまくいかないのは
「地域」という問題があるからだろう。
自分の選挙区「だけ」に、短期間でマスメディア並みの大量な情報を流さなければならない
というのは
なかなか難しい命題だ。
駅でさけぶとか
盆踊りに出るとか
そういうふうなアイデアが出てきちゃうのは
仕方がない、と
言えなくもない。
昔は地域コミュニティがしっかりしていて
地域のみんなで情報共有する手段が
寄り合いとか
お祭りとか
まあ、いろいろあったわけなのだが
今では盆踊りも老人と子供と商店街の人々くらいしか来ず
寄り合いって言っても商店街の活性化会議ぐらいしかなく
会社に勤めてるマジョリティには
どうにも接触できなくなってしまっているのだろう。
しかしだ
そうなってから久しいのに
全く手を打っていないというのは
ある意味
アスベスト問題と似ている。


情報化社会
といっても
まだ多分、「血管」としてのインフラが出来ただけで
「血液」という「流れ」が
使える形になっていないんだろうな、とおもう。
動脈や静脈など
ぶっといところはどうにか流れるときがあっても
毛細血管に行くと
目詰まりを起こしているか、死に体になっているのだろう。
回線があって
パソコンがあって
ブラウザがあっても
あるヒット数を誇る「ポータル」がなければ、
新規の情報は流れない、というのに似ている。
回線やパソコンやアプリケーションは、血管や心臓。
「あるヒット数を誇るポータル」というのが、血液だ。
血液は、「コンテンツ」というのとも、ちょっとちがう。
コンテンツって言うのは、血液にのって流れる栄養素とか、酸素とかのことだと思う。
「血液」は、流動していることそのものをも含む。
要するに
長い時間かけて認知され、それなりのルールが整い、しっかり定期的に、公平に管理されている
というこの現象全体を「血液」と呼ぶのだ。
情報化社会になっても
選挙戦では、利用出来る「流れる血」がないために
情報をのせられないのだろう。


会社
というのが
地域コミュニティの代替になっているから
サラリーマン達は、地域と分離しても
ぜんぜん平気
になっていたのだとおもう。
かくいう私が所属する企業も
「営利を追求するためのプロジェクトを担う団体」
ではなく
「みんなの人生を優しく包み込む生活空間としてのコミュニティ」
となっている感じがする。
まず、どんなミスも責めないし
身内意識がとっても強いし
会議は長く、みんながお花見のようにそれを楽しんでいる。
酒もないのに昼間から景気よく盛り上がっている。
会社が
一つの「村」としての役割を果たしているようにみえる。


こんな居心地のいいところがあるなら
ムリして家のある地域コミュニティに入っていくこともない。
要は
農耕・職人の世界が
企業の世界にうつったことで
「コミュニティ」
が、変化したのだ。
昔は地域や土地や神社や寺をや表札を軸にそれができていた。
今は会社の社屋とか名刺とかでそれができている。
さらにものすごいのは
企業はおおよそが株式会社で
役所も政府の膝下に置かれていて
要するに
むかしの「コミュニティ」にはその構成員に意志決定力があったモノが
今は、「コミュニティ」の構成員には、全体の意志決定をする道理がない
というかたちになっているというところだ。


でも
これもちょっと昔のハナシだとおもう。
昨今のホリエ○ン騒ぎとかで
「会社はダレのモノか」
といわれはじめた。
みんな少し情緒的になって「コミュニティ」を守ろうとしたけど
どうもそうじゃないぞ
と思い始めたんじゃないかと思う。
私が10年くらい前から所属していたようなベンチャー企業では
あまり「コミュニティ性」はなかった。
「プロジェクト性」がつよかった。
多分この先
「コミュニティ企業」は
だんだん崩壊していくんじゃないかな〜

私は感じている。
いや、言い方を変えると
「企業内コミュニティ」が解体されていく
のではないかとおもう。


でも人は「居場所」を求める。
「人」を要素として組織された居場所を求める。
年金問題や郵政などにからめとられて今、見えなくなっているが
地方分権
というテーマがある。
私はバクゼンと夢を見るのだが
もしかしたらこの先
人々は、「会社コミュニティ」から、「土地コミュニティ」にもどるのではないだろうか。
また、育児や介護がちゃんと自分たちの問題としてとらえられる時代が来るのではないだろうか。
それも、旧時代のように、性別や年齢や立場でその役割を規定するのではなく
もっとフラットな、自由なかたちで。


しかしあれだ
フライパンをたたいて音楽を流すあの
「騒音オバサン」
等を取り締まる
「騒音防止条例」
などというのがあるとかないとかきいたようにおもうが
あの拡声器で演説っちゅーのは
取り締まられないのが不思議でならない。
こうなったらもう
騒音オバサンと候補者の演説をガチンコ対決させてみたい。
どちらか一方が倒れるまで
おもうさまやってみてもらいたい。


9月11日までの日々を思うと
憂鬱である(涙