石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

タブー

そうそう、押すと次のセルに移動出来るのよね。


それは
タブ。(オヤヂ)

そうでなく
昨日出勤前に身支度をしつつ、ふと思ったのである。
「発禁になるほどラジカルな新書が読みたい」
と。


ああそうそう、貴金属で一番高いヤツね。


それは
白金(プラチナ)。


しつこい。

イヤラシイから出版禁止っていうのは
フツウすぎてなんだか味気ない。
差別的だとか放送禁止用語がいっぱいあるとか
そういうのも、わかりやすすぎてつまらない。
既存の思想、右とか左とか宗教とか、そういうのをつきつめているだけ、というのも
オリジナリティに欠けるので、なんかおもしろくない。
そういうのではなくて
読んでいる警察の検査官も鼻白むほどの
なにかとっても熱くて極端な理論
というのを、読んでみたい気がしたのだ。


新書なら
鞄に入れるのに最も適している。
私は電車の中でしか
本を読まなくなっている。
なので
新書でなければ
こまるのだ。
「発禁寸前の新書」。
これさえあれば
1時間あまりの会社までの長くて辛い道のりも
1瞬すぎて物足りないくらいに思えるに、チガイナイ。
隣の若者のヘッドホンのしゃかしゃか音や
満員電車でも華やかな中年女性達の井戸端会議も
いっさいがっさい気にならなくなるに違いない。
私は興奮しやすい体質なので
本のナカミに心を奪われると、完全に外の情報から自由になれるのだ。
だからこそ
「興奮させてくれる新書」
これを求めているのだ。
文庫は新書より微妙に厚いので
鞄に入れたとき、ちょっと具合が悪い。

人間が興奮するのは
欲情したときか激怒したとき
これにつきる。
更に言えばもうひとつ
誰かの情熱に「あてられる」ということがある。
この「あてられる」というのはなかなか説明が難しい感覚だが
スラムダンクを読んで熱くなる
K-1を見て熱くなる
とかそういうのは多くの場合
欲情でも激怒でもない、もう1つの「興奮」であろうかとおもう。
電車の中では、激怒や欲情は、ちょっとアレであるので
最後の「あてられた状態」をできれば、目指したいわけだ。
発禁寸前ラジカル

そのような基準に基づいて思いついたのだろう。自分。


ことほどさように
自分がなんでそんなことを思いついたのか
というところに到達するまで
ずいぶんかかる。(←バカの証明。)





最近
田中克彦
という言語学者の本を
電車の中で読んでいるのだが
この人はすごくおもしろい人だ。
自分の先生だったら、ちょっと怖くてイヤン、だが
学部の授業で、大講堂で講義を受けるくらいなら
すごくおもしろいだろう
という感じのする人だ。
言語学者だからかどうなのか、
文体がものすごく不安定で
何度も読み返さないとセンテンスの意味がつながらない感じがすることもしばしばで
言葉遣いも先鋭的だし
かなり「クセのある」文章を書く人だと思うんだけど
でも
妙に、おもしろい。
妙に、はまった。
クサヤとか納豆とかなまことかみたいに
あれこれ言おうと思えば言えるんだけど
その本全体、著者の持ってる空気、エネルギー、みたいなものが
気に入ってしまった。


私は生まれたときからずっと日本にいて
ほとんど外に出たことがない。
だから
「いろんな国の言葉が混ざり合っている状態」
とか
「いろんな言葉を持った国同士がフクザツに境界を接している状態」
とかには
お目にかかったことがない。
なので
最初は「言語学」のいってることそのものが
どうもピンとこなかったのだろう。
でも
日本のようなパッキングされた国の方がいっそマレ
ということがわかり
大変説得された。
また
「漢字は人を音痴にする」
という章があるのだが
これにも心躍った。
日本は、漢字が音を持っていて、同時に意味も持っている。
だから、音と意味が漢字という映像によって、切り離されている、らしい。
ちいさい子供がテレビで
「ウンチン」
という言葉を耳にしたら
大興奮大会
だったりする。
子供はシモネタが大好きだからだ。
でも
大人はそのことばを耳にしても、いちいち顔を赤らめたりは、しない。
「運賃」
という漢字の字面、その教養に「守られている」からだ、と田中先生は言う。
なるほど。
天皇がかつて自分のことを「朕」と自称したことについて
田中先生はほとんど今時の若者ののたまうところの
「あーりーえーなーい!!!!」
というノリでツッコミを入れている。
この世で一番エライということになっている
へたするとにんげんじゃなくて神様かな、というくらいの存在が
自分のことを
「チン」
って。
どうよ。
という、激しいツッコミ。
「ウンチン」
で興奮する幼児と同じ感性に端を発したピュアなツッコミ。
学者たるモノ
こうでなくてはイカン。


むろん
田中先生の本が発禁になるほどラジカルだ
といいたいわけではない。

「・・・この論者はなまはんかな教養があるばかりに、
それによりかかったのはいいとして、
全く異なる条件に誤用してしまったのだ。」
とまで言われてしまった○山氏などは
あんな失礼なヤツの本はいっそ発禁になればいい
くらいのことは
思っているかもしれない。


田中先生のこだわっている
言葉の「おと」には
私は完全に鈍感だった。
もとより、私は5感が弱い。
耳も口もアタマも悪い(さいごのと最後から二番目のはちょっと違う)。
そうかあ
ことばって
おとなんだ
なるほどね

なんだか、それだけなんだけど
まだそこからどこにもいけてないんだけど
でも
それだけでも
なんか得したこころもちなのであった。



話は変わるが
あれだ
愛し合っていれば
ことばにしなくても一緒にいるだけでわかる
なんて
ほんとにあるんだろうか。。。。。
そういうふうなのを
ちょっと経験してみたい
と思っている
昨今なのだった。

新聞
読めよ。


いや今ちょっと
忙しくて、、、、(言い訳)


来週
再開します(本当